ダビド・オドンコール
ダビド・オドンコール(David Odonkor, 1984年2月21日 - )は、西ドイツ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。ガーナ人の父とドイツ人の母の間に生まれた。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | David ODONKOR | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1984年2月21日(41歳) | |||||
出身地 |
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身長 | 174cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴2 | ||||||
2006-2008 |
![]() | 16 | (1) | |||
2. 2012年11月30日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集クラブ
編集ボルシア・ドルトムントの下部組織出身である。2002年3月3日、FCザンクトパウリ戦でデビューした。2006年、スペインのレアル・ベティスに移籍金650万ユーロで移籍した。スペイン代表のホアキン・サンチェスとブラジル代表のリカルド・オリヴェイラの移籍金収入約60億円を充てたとされる。2008-09シーズン、長期離脱の際にベティスとの契約をいったん解除していた。その後はアレマニア・アーヘン、ウクライナのクラブでプレーしていたが、本来の実力を発揮できないシーズンが続いた。
2013年9月19日、現役引退を表明した。
代表
編集2006年ドイツW杯のドイツ代表メンバー発表で一番の驚きを誘った選手である。2006年5月30日の日本戦でデビューした。
U-21代表では13試合に出場したが、A代表にはそれまで招集がなかった。しかし、2005-06シーズンのブンデス・リーガでヤン・コラーが負傷離脱した穴をしっかりと埋め、監督の評価を得た。招集を決めたユルゲン・クリンスマン監督は「オドンコールの招集は前々から決めていたが、プレッシャーになるといけないのでここまで呼ばなかった」と話した。
ワールドカップ本選では、右サイドの切り札として4試合に出場した。グループリーグ第2戦のポーランド戦では、0-0で迎えた後半ロスタイムに、オリバー・ノイビルの劇的な決勝ゴールをアシストした。
ベティスでは本来の実力を発揮できないシーズンが続いたが、UEFA EURO 2008のドイツ代表に選ばれ、グループリーグ1試合に出場した。
所属クラブ
編集- ボルシア・ドルトムント 2001-2006
- レアル・ベティス 2006-2011
- アレマニア・アーヘン 2011-2012
- FCホヴェルラ・ウージュホロド 2012-2013
代表歴
編集出場大会
編集試合数
編集- 国際Aマッチ 16試合 1得点(2006年-2008年)[1]
ドイツ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2006 | 10 | 0 |
2007 | 3 | 1 |
2008 | 3 | 0 |
通算 | 16 | 1 |
出典
編集- ^ ダビド・オドンコール - National-Football-Teams.com
外部リンク
編集- ダビド・オドンコール - National-Football-Teams.com
- ダビド・オドンコール - Soccerway.com
- ダビド・オドンコール - FootballDatabase.eu
- ダビド・オドンコール - WorldFootball.net
- ダビド・オドンコール - Transfermarkt.comによる選手データ
- ダビド・オドンコール - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ダビド・オドンコール - FIFA主催大会成績
- ダビド・オドンコール - UEFA
- ダビド・オドンコール - ウクライナサッカー連盟
- ダビド・オドンコール - Fussballdaten.de