ダテハクタカ
ダテハクタカとは日本の競走馬である。1959年に啓衆社賞年度代表馬となったウイルデイール(おもな勝ち鞍:皐月賞)の代表産駒の一頭。
ダテハクタカ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1966年7月13日 |
死没 | 不明 |
父 | ウイルデイール |
母 | ダイヴァ |
生国 | 日本 |
生産者 | 伊達牧場 |
馬主 | (株)伊達牧場 |
調教師 | 星川泉士(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 44戦12勝(うち障害競走6戦4勝) |
獲得賞金 | 8740万7700円 |
中央競馬において、平地競走と障害競走の両分野で重賞を優勝する活躍を見せたが、いわゆる「ダテハクタカ事件」において負傷したあとは成績が低迷した。
事件前の戦績
編集1968年11月にデビュー、翌1969年6月に初勝利を挙げた[1]。条件馬でありながら出走した菊花賞において3着[2][1][3]と好走し、翌月の阪神大賞典を3分14秒5のコースレコードタイムで優勝した[4]。その後重賞では不振であったが、条件戦を4勝した[1]。
1972年に平地競走から障害競走に転向。重賞の阪神障害ステークス(春)を含む無傷の4連勝を達成[1][5]し、同年の中山大障害(春)の有力馬となった。
ダテハクタカ事件
編集1972年6月4日14時30分頃[6]、中山大障害(春)に出走するため中山競馬場のパドックに移動したところ突如暴れだし、右後脚の蹄鉄が外れる[5][6]アクシデントが発生した。いったんパドックを出て蹄鉄の打ち替えを行うことにしたが、右目に何かが付着してダテハクタカが痛がっていることに担当厩務員が気付いた[6]。検査の結果右目が白濁し[7]、視力にも異常が認められた[7]ため競走除外となった。
装鞍所からパドックに向かう通路で「サイダー瓶一本程度の水のようなものが馬の頭上に落ちてきた」との調教助手の証言があり、何者かが通路のコンクリート塀から身を乗り出して劇薬を投げつけたとみられている[8]。
獣医の診察により硫酸とみられる化学物質による負傷と判断され、何者かが故意にダテハクタカを負傷させた疑いがあるとして、船橋警察署が[7][9][6]捜査に乗り出した。6月9日には中山競馬場内で濃硫酸が残留した容器が発見され[10]、さらに前日の6月3日に同競馬場内パドックにおいて第10レースの出走馬を周回させていた厩務員が負傷(被服に穴が開く火傷)していたことも明らかになり[10][11]、何者かが競走馬を狙って故意に濃硫酸を浴びせようとした疑いが濃厚となった。しかしダテハクタカが負傷した当時は天候が悪かったために有力な目撃証言が得られず[9]、また濃硫酸が残留した容器から指紋が検出されない[12]など物証が乏しかったため捜査は難航し、結局犯人は検挙されなかった[12][13][6]。
ちなみにこの中山大障害(春)は、ダテハクタカ絡みの馬券は単勝で856万円、枠番連勝では4億2715万円[6]も売られていた[注釈 1]。
レースはスタート直後4番人気のクリタカラが落馬により競走中止[6]、除外されたダテハクタカに代わって単勝1番人気になったインターヒカリが大差で最下位の6着[1][6]、兄弟であるナスノセイランとナスノヒエンがそれぞれ1着2着でゴールする[14][6]という、荒れ模様のレースとなった。
事件後
編集右目の負傷はやがて癒え、レースに復帰したものの競走成績は振るわず、事件以後勝利を挙げることのないまま、1972年の阪神障害ステークス(秋)を最後に競走馬を引退した[12]。
血統表
編集ダテハクタカの血統(ダークロナルド系 / Donatello 4×4=12.50%、Blenheim II 5×5×5=9.38%) | (血統表の出典) | |||
父 ウイルデイール 1956 黒鹿毛 |
父の父 Wilwyn1948 鹿毛 |
Pink Flower | Oleander | |
Plymstock | ||||
Saracen | Donatello | |||
Lovely Rosa | ||||
父の母 メードンスグリーン* Maidens Green 1946 鹿毛 |
Straight Deal | Solario | ||
Good Deal | ||||
Windsor Lady | Beresford | |||
Resplendent | ||||
母 ダイヴァ *Diva 1966 鹿毛 |
Pinza 1950 鹿毛 |
Chanteur | Chateau Bouscaut | |
La Diva | ||||
Pasqua | Donatello | |||
Pasca | ||||
母の母 Belle of All1948 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco | ||
Mumtaz Begum | ||||
Village Beauty | Winalot | |||
Village Green F-No.3-g |
脚注
編集注釈
編集- ^ 中山大障害に出馬していたほかの7頭の総売り上げは、単勝で1185万円、枠番連勝で3億5769万円となっていた。
出典
編集- ^ a b c d e #木村1998、p.94
- ^ 日本中央競馬会『優駿』1970年1月号、p.15
- ^ “競走成績 第30回 菊花賞”. データファイル. 日本中央競馬会. 2011年6月30日閲覧。
- ^ 『優駿』1970年2月号、p.74
- ^ a b #田中2003、p.254
- ^ a b c d e f g h i #Number1999
- ^ a b c 「サークルだより ダテハクタカに劇薬」『優駿』、日本中央競馬会、1972年7月、78頁。
- ^ 「本命馬に目つぶし 劇薬をかけられて出走除外」『朝日新聞』昭和47年6月5日.3面
- ^ a b #木村1998、p.93
- ^ a b #木村1998、p.95
- ^ 「クラチカラにも硫酸?」『朝日新聞』昭和47年6月7日.22面
- ^ a b c #木村1998、p.96
- ^ #田中2003、p.255
- ^ #木村1998、pp.93-94
参考文献
編集- 木村光男「ダテハクタカ劇薬事件」『競馬事件簿』ラジオたんぱ、1998年、91-97頁。ISBN 4931367380。
- 田中貴英「大本命馬に硫酸がかけられた! ファンの心無い行為」『ザ・競馬トリビア 史上最強の珍記録・怪事件』広済堂出版〈広済堂・競馬コレクション〉、2003年、254-256頁。ISBN 4-331-50973-7。
- 「劇薬かけられ、発走除外。」『競馬 黄金の蹄跡。』文藝春秋〈Sports Graphic Number PLUS〉、1999年、153頁。ISBN 4-16-008108-8。