タイチクロアチア語:Tajči)、あるいはタイチ・キャメロンTajči Cameron、本名タティアナ・キャメロン Tatiana Cameron、旧姓マテヤシュ Matejaš1970年7月1日 - )は、クロアチア人の歌手である。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国クロアチア社会主義共和国ザグレブ(現・クロアチア共和国)出身。ユーロビジョン・ソング・コンテスト1990年大会ユーゴスラビア代表として参加し、「Hajde da ludujemo」を歌った。

タイチ
Tajči
タイチ、シカゴ、聖ヒエロニムス聖堂(St. Jerome's Church)でのクリスマス・コンサートにて
基本情報
出生名 タティアナ・マテヤシュ(Tatjana Matejaš
別名 タイチ・キャメロン、タティアナ・キャメロン
生誕 (1970-07-01) 1970年7月1日(54歳)、ザグレブ
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビアクロアチア社会主義共和国ザグレブ(現・クロアチアの旗 クロアチア
学歴 クロアチア音楽学院
職業 歌手
活動期間 1990年 -
共同作業者 マシュー・キャメロン
公式サイト idobelieve.com

来歴

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タティアナ・マテヤシュとして1970年7月1日にクロアチアのザグレブに生まれ、クロアチア音楽学院にてクラシック・ピアノの教育を受けた[1]。タイチは1990年ユーゴヴィジヤにクロアチアから参加して優勝し、19歳にしてユーゴスラビア代表として同年のユーロビジョン・ソング・コンテストに参加した。これによって一躍有名になったタイチは、多くの雑誌に取り上げられ、また大勢の前でコンサートを行った。タイチの作品はプラチナムやゴールドの売り上げが記録された[1]1991年ユーゴスラビア崩壊クロアチア紛争が起こると、タイチは宗教心を深め、また紛争の前線を訪れ、平和を願って歌い、負傷した兵士らを癒した[1]。しかしその後ほどなくヨーロッパでの歌手としてのキャリアを断ち切り、アメリカ合衆国へ移住した[1]

タイチはロサンゼルスに住んでいるとき、後に夫となるピアニスト・作曲家のマシュー・キャメロンMatthew Cameron)と出会う[1]。マシュー・キャメロンとは2000年に結婚し、2人は後にシンシナティに移住した。タイチはユーゴスラビア時代のポップ・ミュージックから一転して教会音楽をその活動の中心とし、各地のローマ・カトリックの教会で歌って回った。タイチに寄せられた教会からの求めは1000近くにのぼり、教会での活動のためアメリカ合衆国のみならずラテン・アメリカフィリピンヨーロッパアフリカなどを訪れている[1]

ヨーロッパでの活動も再開し、ボスニア・ヘルツェゴビナ2006年夏に行われたコンサートでは3万5千人が集まった[1]

アルバム

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  • Hajde da ludujemo(1990年)
  • Bube u glavi(1991年)
  • Struggles & Graces(1997年)
  • Now and Forever(2000年)
  • Emmanuel - The Story of Christmas(2002年)
  • Let It Be - Mary's Story(2003年)
  • I Thirst(2004年)
  • Zlatna kolekcija(2004年)
  • A Chance to Dream(2006年)
  • Need A Break(2008年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g Tajci's Story”. 2009年5月閲覧。

外部リンク

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先代
リヴァ
ユーロビジョン・ソング・コンテスト・ユーゴスラビア代表
1990年
次代
ベビ・ドル