ソユーズTM-5
ソユーズTM-5は、ロシアの宇宙ステーションミールへの5回目の長期滞在である。
Soyuz TM-5 | |||||
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徽章 | |||||
ミッションの情報 | |||||
ミッション名 | Soyuz TM-5 | ||||
質量 | 7000kg | ||||
乗員数 | 3 (打上げ時) / 2 (帰還時) | ||||
コールサイン | Роднии́к (Rodnik- 湧水) | ||||
打上げ日時 |
1988年6月7日 14:03:13 UTC ガガーリン発射台 | ||||
着陸または着水日時 |
1988年9月7日 00:49:38 UTC ジェズカズガン南西202㎞ | ||||
ミッション期間 | 91日10時間46分25秒 | ||||
周回数 | ~1,475 | ||||
遠地点 | 241km | ||||
近地点 | 173km | ||||
公転周期 | 88.6分 | ||||
軌道傾斜角 | ~51.6° | ||||
年表 | |||||
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乗組員
編集打上げ時:
- アナトリー・ソロフィエフ (1)
- ヴィクトル・サヴィヌイフ (3)
- アレクサンドル・アレクサンドロフ (1) - ブルガリア
帰還時:
- ウラジーミル・リャホフ (3)
- アブドゥルアフド・ムハンマド (1) - アフガニスタン
ミッションハイライト
編集ソユーズTM-5は、1988年6月7日に打ち上げられ、ブルガリア2人目の宇宙飛行士アレクサンドル・アレクサンドロフを運んで6月9日にミールに到着した。彼は、ロシアの宇宙ステーションに到着した最初のブルガリア人だった。(1979年にグレゴリー・イワノフがソユーズ33号でサリュート6号への到着に失敗した時には、バックアップだった)。Rozhen astronomical experimentの照明条件の調節のため、打上げは当初の予定よりも2週間遅れた。9月5日、TM-6号で到着したウラジーミル・リャホフとアブドゥルアフド・ムハンマドは帰還のためミールを離れた。彼らは軌道モジュールを放棄し、軌道離脱の燃焼の準備をした。しかし、宇宙飛行士にもコロリョフ市のツープにも知らされず、ガイダンスコンピュータは6月からブルガリアのミッションのため、ドッキングソフトウェアに使われていた。赤外線水平センサーが適切な高度を確認できなかったため、軌道離脱の燃焼は予定された時刻に起こらなかった。予定より7分後、センサーは適切な高度に達したことを確認し、メインエンジンに点火されたが、リャホフは3秒後にそれを中止した。3時間後の2度目の点火は6秒しか続かなかった。リャホフはすぐに手動での軌道離脱を試みたが、60秒後にコンピュータはエンジンを停止した。
James Obergの著書Secrets of Soyuzによると、2度目の点火の試みの際に自動降下プログラムを再スタートさせるために、リャホフは1度目の中断を無視するようコンピュータを設定した。そのため、1度目の点火が成功であったように進行し、宇宙船は通常の再突入軌道に入ることができた。
9月7日に、大気圏再突入が成功した。この後ソビエトは、ソユーズフェリー飛行でやっていたように、軌道離脱の燃焼が終わるまで軌道モジュールを残しておくようになった。