セルゲイ・タネーエフ
セルゲイ・イヴァノヴィチ・タネーエフ(ロシア語: Серге́й Ива́нович Тане́ев、ラテン文字転写例: Sergei Ivanovich Taneyev、1856年11月25日(ユリウス暦 11月13日)) - 1915年6月19日(ユリウス暦 6月6日))は、ロシアの作曲家、ピアニスト、音楽理論家、教育者である。作曲家のアレクサンドル・タネーエフは親類に当たる。姓はタネイエフ、タニェエフなどと表記されることもある。
セルゲイ・イヴァノヴィチ・タネーエフ Сергей Иванович Танеев | |
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基本情報 | |
生誕 | 1856年11月25日 |
出身地 | ロシア帝国、ヴラディーミル |
死没 |
1915年6月19日(58歳没) ロシア帝国、デューティコヴォ |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家、ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
生涯と業績
編集ヴラディーミル出身。5歳からピアノを習い始める。9歳の時、一家でモスクワに移住し、モスクワ音楽院でピアノをエドゥアルト・ランゲルとニコライ・ルビンシテインに、音楽形式とフーガをニコライ・グーベルトに、作曲と楽器法をピョートル・チャイコフスキーに学び、1875年に金メダルを得て卒業[1]。卒業後はピアニスト、作曲家として活躍。レオポルト・アウアーとデュオを組んで演奏旅行を行う。1875年11月には、チャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調』のモスクワ初演でピアノを担当。1882年5月22日には同じく『ピアノ協奏曲第2番 ト長調』の世界初演を担当している。
1878年、モスクワ音楽院の和声および楽器法の教授となり、1881年には亡くなったニコライ・ルビンシテインの跡を継いでピアノ科教授も受け持った。そして1885年からは4年間院長も務めた。弟子にはアレクサンドル・スクリャービン、セルゲイ・ラフマニノフ、アレクサンドル・グラズノフ、セルゲイ・プロコフィエフ、ニコライ・メトネルなどがいる。
対位法の理論家としても知られ、著書には『可動的厳格対位法』、『カノンの研究』、ブレッスラーの『厳格対位法と楽式論』の翻訳などがある。また、チャイコフスキーのいくつかの未完作品(『アンダンテとフィナーレ』など)を補筆している。
出版について無頓着だったために出版された作品数は少なく、番号付けは混乱しているが、4曲の交響曲、弦楽四重奏曲などの室内楽曲、オペラ、合唱曲、ピアノ曲(数は少ないが、リーリャ・ジルベルシュテインがレパートリーとしている『前奏曲とフーガ 嬰ト短調』(作品29)が有名)など多数の作品を残した。わずかながら正教会の聖歌も作曲している(『主よ、爾は善智なる盗賊を』)。
音楽院を退いた後の晩年はヨーロッパへ旅行することが多かった。1915年、弟子であったスクリャービンの葬儀に出席した際、薄着で棺を担いだのが元で風邪を引き、心臓病を併発してモスクワ近郊のデューティコヴォ村で生涯を閉じた。モスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬されている。
その作風はチャイコフスキー同様保守的であるが、叙情性よりも構築性を重んじ、対位法を多く駆使しており、「ドイツ的」と称されることが多い。グラズノフ、門人パウル・ユオンやメトネルと並んで、「ロシアのブラームス」と呼ばれる一人である。もっとも、タネーエフ自身はブラームスを嫌悪していた(同様にワーグナーも嫌悪していた)。
なお、ピアニストとしては、1891年にモーツァルトの『幻想曲 ハ短調』(K. 396)をエジソンシリンダーに録音しているほか、高く評価していたアントン・アレンスキーの『2台のピアノによる組曲第2番《シルエット》』の第4曲の録音(1892年)をパーヴェル・パプストと共に残している。
作品
編集交響曲
編集- 交響曲第1番 ホ短調(1873-74年、1948年出版)
- 交響曲第2番 変ロ長調(1877-78年、1977年出版) - 3楽章までの未完成。
- 交響曲第3番 ニ短調(1884年、1947年出版)
- 交響曲第4番 ハ短調 作品12(1896-98年、1901年出版)
- タネーエフが出版した唯一の番号付き交響曲であり、当初は『交響曲第1番』として出版された。
管弦楽曲
編集- ロシアの主題による序曲 ハ長調(1882年、1948年出版)
- ニコライ・リムスキー=コルサコフの『100のロシア民謡集』(作品24)の第10曲を基にしており、パヴェル・ラムが補筆完成させ1948年に出版された。
- 序曲『オレステイア』ホ短調 作品6(1889年、1897年出版)
- 自身が作曲した同名のオペラの主題に基づく。
協奏曲
編集- ピアノ協奏曲 変ホ長調(1875-76年、1957年出版)
- 2楽章までのスケッチのみ。チャイコフスキーに酷評されたことから作曲を断念した。ヴィッサリオン・シェバリーンによる補筆版がある。
- ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的組曲 作品28(1909年)
- 1. 前奏曲、2. ガヴォット、3. おとぎ話、4. 主題と変奏、5. タランテラ
弦楽四重奏曲
編集- 弦楽四重奏曲 ニ短調(1874-76年、1952年出版)
- 弦楽四重奏曲(第7番) 変ホ長調(1880年、1952年出版)
- 弦楽四重奏曲(第8番) ハ長調(1883年、1952年出版)
- 弦楽四重奏曲(第9番) イ長調(1883年、1952年出版)
- 弦楽四重奏曲第1番 変ロ長調 作品4(1890年、1892年出版)
- 弦楽四重奏曲第2番 ハ長調 作品5(1894-95年、1896年出版)
- 弦楽四重奏曲第3番 ニ短調 作品7(1886年、1896年改訂、1898年出版)
- 弦楽四重奏曲第4番 イ短調 作品11(1898-99年、1900年出版)
- 弦楽四重奏曲第5番 イ長調 作品13(1902-03年)
- 弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 作品19(1903-05年、1906年出版)
- 弦楽四重奏曲 ハ短調(1911年、1952年出版) - 2楽章のみ。
室内楽曲
編集- 弦楽三重奏曲 ニ長調(1879-80年、1956年出版)
- 弦楽三重奏曲 ニ長調 作品21(1907年)
- 弦楽三重奏曲 変ホ長調 作品31(1910-11年)
- 弦楽三重奏曲 ロ短調(作曲年不明、1952年出版)
- 弦楽五重奏曲第1番 ト長調 作品14(1900-01年、1903年改訂)
- 弦楽五重奏曲第2番 ハ長調 作品16(1903-04年)
- ピアノ四重奏曲 ホ長調 作品20(1902-06年)
- ピアノ三重奏曲 ニ長調 作品22(1910-11年)
- ピアノ五重奏曲 ト短調 作品30(1906-08年)
- ヴァイオリンソナタ イ短調(1911年、1948年出版)
- ヴァイオリンとピアノのための10のロマンス 作品17(1905年)
ピアノ曲
編集- アンダンティーノ・センプリチェ ロ短調(作曲年不明、1953年出版)
- 主題と変奏 ハ短調(1874年、1953年出版)
- ピアノソナタ 変ホ長調(1874-75年) - 第1楽章のみ。
- スケルツォ 変ホ短調(1874-75年、1953年出版)
- 4つのスケルツォ(1875年、1953年出版)
- 1. ヘ長調、2. ハ長調、3. ト短調、4. ニ短調
- カドリーユ イ長調(1879年、1953年出版)
- 行進曲 ニ短調(1879年、1953年出版)
- 休息(エレジー)嬰へ短調(1880年、1953年出版)
- 四手のための行進曲 ハ長調(1881年、1981年出版)
- 子守歌 変ロ長調(1881年、1953年出版)
- 前奏曲 ヘ長調(1894-95年、1904出版)
- 前奏曲とフーガ 嬰ト短調 作品29(1910年)
合唱曲
編集- ダマスコの聖イオアン(ダマスクスのヨハネ) 作品1(1883-84年)
- 詩篇の朗読 作品36(1912-15年、1923年出版)
オペラ
編集- オレステイア(1887-94年、1900年出版)
脚注
編集参考文献
編集- Theodore Baker and Alfred Remy, ed (1919). “Tanieiev, Sergei Ivanovitch” (English). Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd ed.). New York: G. Schirmer. pp. 932-933