セルカーク (マニトバ州)
セルカーク(英: Selkirk)は、カナダ·マニトバ州南部にある市。州都ウィニペグから南に約100kmの位置にある。人口は約13,700人。ペンビーナ渓谷地域最大の都市で、地域の商業や行政のハブになっている。
セルカーク Selkirk | |
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City of Selkirk | |
セルカーク給水塔 | |
標語: where it all comes together(すべてが一つになる場所)[1] | |
座標:北緯50度08分37秒 西経96度53分02秒 / 北緯50.14361度 西経96.88389度座標: 北緯50度08分37秒 西経96度53分02秒 / 北緯50.14361度 西経96.88389度 | |
国 | カナダ |
州 | マニトバ州 |
行政区 | インターレイク地域 |
入植 | 1813年 |
市制施行 | 1998年 |
面積 | |
• 合計 | 24.47 km2 |
標高 | 225 m |
人口 (2021)[2] | |
• 合計 | 10,504人 |
• 密度 | 430人/km2 |
等時帯 | UTC-6 (CST) |
• 夏時間 | UTC-5 (CDT) |
ウェブサイト |
www |
歴史
編集現在のセルカークの都市部は、第5代セルカーク伯爵トーマス・ダグラスがハドソン湾会社から購入した[3]、広大なルパート・ランドのうちレッド川流域の16万平方マイル(41万平方キロメートル)の区画の中心付近に位置している。セルカーク伯爵はハドソン湾会社の大株主であった。
レッドリバー植民地の最初の入植者がスコットランドから到達したのは1813年であった。入植者たちはハドソン湾会社の権威を背景にこの地域のソルトー族インディアン(平原オジブワ族)と条約を結んだと言う立場だったが、1816年にはかねてから商業的競争が原因で対立していたハドソン湾会社(とレッドリバー植民地の入植者)と北西会社(ハドソン湾会社の権威をそもそも認めていなかったメティも北西会社側についた)の間で「セブン・オークスの戦い」という戦闘を引き起こした。戦闘はセルカーク伯爵側が21名の死者を出し[4] 終了したが、その後の調査委員会で北西会社の権利も認めメティも免罪された。セルカーク伯爵側は控訴[5]したが伯爵の健康状態が悪化し1820年に死亡[6]。ハドソン湾会社と北西会社は1821年に合併した。
本国で貧困に苦難していたスコットランド系の農民を中心とした入植者をこの地域に導いたセルカーク伯爵の活動を顕彰し、町はセルカークと名付けられ、1882年に町制施行された。
経済
編集「世界のナマズ首都」(Catfish Capital of the World )と訴求されているほどナマズの生息量が多く、その大きさもアメリカからのアングラー(釣り人)が集まるほどの人気である。
マニトバ州最大の心療内科病院のセルカーク精神衛生センターがあり、市最大の雇用先となっている。ブラジルの鉄鋼メーカー、ジェルダウ傘下の小規模の製鉄所もある。
交通
編集脚注
編集- ^ “selkirk”. 2024年8月19日閲覧。
- ^ “Census Profile, 2021 Census of Population, City of Selkirk”. Statistics Canada. February 9, 2022閲覧。
- ^ Stephen, Leslie, ed. (1888). . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 15. London: Smith, Elder & Co.
- ^ Francis, R. Douglas; Jones, Richard; Smith, Donald B. (2000). Origins: Canadian History to Confederation (4th ed.). Toronto: Harcourt Canada. pp. 434–5. ISBN 978-0-17644-243-9
- ^ Bryce, George (1912). Life of Lord Selkirk. Toronto: The Musson Book Company. p. 81
- ^ Henderson, Anne Matheson (1968). “The Lord Selkirk Settlement at Red River, Part 2”. Manitoba Pageant (Manitoba Historical Society) 13 (2) .