セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)

セルウィウス・スルピキウス・ガルバラテン語: Servius Sulpicius Galba, ? - 紀元前43年?)は、共和政ローマ末期の政務官紀元前54年には法務官(プラエトル)になっている。ローマ皇帝ガルバの曽祖父に当たる。


セルウィウス・スルピキウス・ガルバ
Ser. Sulpicius Galba
出生 不明
死没 紀元前43年
出身階級 パトリキ
氏族 スルピキウス氏族
官職 レガトゥス(紀元前62-60年、ポンプティヌス)
レガトゥス(紀元前58-56年、カエサル)
プラエトル紀元前54年
レガトゥス紀元前43年、パンサ)
アウグル(紀元前49-43年?)
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ガリア戦争

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紀元前58年からのガリア戦争においては、属州総督ガイウス・ユリウス・カエサルの総督副官(レガトゥス)を任され、軍団長(レガトゥス・レギオニス)として第12軍団Legio XII Fulminata)を指揮した。

紀元前57年には、アルプス山脈に登山道を開通させるために第12軍団とともに派遣され、レマン湖東方のナントゥアテス族ウェラグリ族セドゥニ族などのガリア人諸部族の領土を制圧して冬営した。ガルバが数日間、谷底のオクトドゥルス村に冬営していたところ、反旗を翻したウェラグリ族とセドゥニ族に包囲攻撃されて窮地に陥ったが、何とか撃退した(オクトドゥルスの戦い)。ガルバは目的を達することができずに、西方のアッロブロゲス族の領土まで撤退した。

カエサル暗殺

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後年、カエサルが独裁体制を築くと、ガルバは執政官(コンスル)任官に反対された。紀元前44年、ガルバはブルトゥスカッシウスらのカエサル暗殺の陰謀に参加した。この結果、クィントゥス・ペディウスの法により断罪されて処刑された。

参考文献

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関連項目

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