セベシュ

ルーマニアの都市

セベシュルーマニア語: Sebeș)は、ルーマニア中部、アルバ県に位置する都市。ドイツ語ミュールバッハ (Mühlbach) 、ハンガリー語サースシェベシュ (Szászsebes) 。

セベシュ
基礎自治体
Skyline of セベシュ
セベシュの紋章
紋章
セベシュの位置(ルーマニア内)
セベシュ
セベシュ
セベシュの位置図
北緯45度57分36秒 東経23度34分12秒 / 北緯45.96000度 東経23.57000度 / 45.96000; 23.57000座標: 北緯45度57分36秒 東経23度34分12秒 / 北緯45.96000度 東経23.57000度 / 45.96000; 23.57000
 ルーマニア
アルバ県
形態 基礎自治体
政府
 • 市長 アドリアン・アレクサンドル・ダンチラ (社会民主党)
面積
 • 合計 115.54 km2
人口
(2011年10月20日)
 • 合計 24,165人
等時帯 UTC+2 (東ヨーロッパ時間)
 • 夏時間 UTC+3 (東ヨーロッパ夏時間)
ウェブサイト www.primariasebes.ro/

地理

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市街はムレシュ川の支流セベシュ川の両岸に広がる。シビウからデヴァに至る国道1号線(欧州ルート68号)と、アルバ・ユリアおよびクルージュ・ナポカに向かう国道7号線(欧州ルート81号)が交わる。

県都アルバ・ユリアの15km南にあたり、ペトレシュティ、ランクラム、ラハウの三村を傘下に置く。

歴史

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サポヤイ邸

現在の市街の東にはかつて、ルーマニア人とペチェネグからなる村落があったといわれる。12世紀後半にライン川モーゼル川地方のハンガリー王国領から身を起こしたゲルマン人(後にトランシルヴァニア・ザクセン人として知られる)によって市街が建設されると、中世トランシルヴァニアの主要都市に成長した。市壁は1241年から翌年のタタール人モンゴル帝国)来寇後に増強されたが、1438年にオスマン帝国に攻略された。1540年にはトランシルヴァニアの領主であるサポヤイ・ヤーノシュが当地で死去。1546年、1556年、1598年、1600年にトランシルヴァニア議会が開かれた。当時会堂となったサポヤイ邸は現在、博物館になっている。

1918年のルーマニア併合後の初代市長リオネル・ブラガは、詩人で哲学者のルチアン・ブラガの兄弟である。

経済

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外国からの投資で、セベシュの地元経済は過去十年間活況を呈している。主な産業に木材加工や革製品の生産がある。

人口統計

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2011年の国勢調査によると、セベシュの総人口は2万4165人である。その内訳は以下の通り[1]

  • ルーマニア人 - 2万2551人 (93.3%)
  • ロマ - 1168人 (4.8%)
  • ドイツ人 - 261人 (1.1%)
  • ハンガリー人 - 131人 (0.5%)
  • その他 - 52人 (0.3%)

なお、1850年の内訳はルーマニア人が69.4%、ドイツ人が27.0%、ロマが2.7%、ハンガリー人が0.47%であった。

姉妹都市

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関連項目

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脚注

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  1. ^ Comunicat de presă privind rezultatele provizorii ale Recensământului Populaţiei şi Locuinţelor – 2011”. Alba County Regional Statistics Directorate (2012年2月2日). 2012年2月14日閲覧。