セシル・マクビー

アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャン

セシル・マクビーCecil McBee1935年5月19日 - 、オクラホマ州タルサ生)は、アメリカ合衆国ポスト・バップジャズダブルベース奏者。『ギネス・フーズ・フー・オブ・ジャズ』第2版(コリン・ラーキン編集、1995年刊)においては、「a full-toned bassist who creates rich, singing phrases in a wide range of contemporary jazz contexts.」 と、また、Allmusicにおいては「ポスト・バップ・ジャズの最も進歩的で多才なベース奏者[1]」と評されている。1975年に自身のグループを結成して多数のリーダー・アルバムを録音したが、サイドマンとしての活動でとりわけ名高く、今なお現役のセッションマンとして多くのジャズ・ミュージシャンから引く手あまたである。

セシル・マクビー
Cecil McBee
セシル・マクビー(2016年)
基本情報
生誕 (1935-05-19) 1935年5月19日(89歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オクラホマ州タルサ
ジャンル ポスト・バップジャズ
職業 弦楽器奏者
担当楽器 ダブルベース
共同作業者 ダイナ・ワシントンポール・ウィンターマイルス・デイヴィスアンドリュー・ヒルサム・リヴァースジャッキー・マクリーンウェイン・ショーターチャールズ・ロイドユセフ・ラティーフキース・ジャレットフレディ・ハバードウディ・ショウアリス・コルトレーン

略歴

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学生時代にクラリネットを学ぶが、17歳でダブルベースに転向して地元のナイトクラブで演奏し始める。オハイオ州中央大学において音楽で学位を取得した後、2年間兵役に就くが、その間もフォート・ノックスのバンドを指揮した。1959年ダイナ・ワシントンと共演。

1962年デトロイトに移って、1963年から1964年までポール・ウィンターフォークロック・バンドと共演している。ジャズに本気で取り組むようになるのは1960年代半ばのことであり、ニューヨークに移ってから、マイルス・デイヴィスアンドリュー・ヒルサム・リヴァースジャッキー・マクリーンウェイン・ショーターチャールズ・ロイドユセフ・ラティーフフレディ・ハバードウディ・ショウキース・ジャレットアリス・コルトレーンらと演奏および録音を行なった。

ベニー・モウピン、マイク・ノック、エディ・マーシャルと共にバンド「アルマナック(Almanac)」を結成し、1977年にセルフタイトル・アルバムを発表した。

ボストンニューイングランド音楽院において教鞭を執っている。

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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  • 『ムティマ』 - Mutima (1974年、Strata-East)
  • 『ミュージック・フロム・ザ・ソース』 - Music from the Source (1978年、Enja)
  • 『コンパッション』 - Compassion (1979年、Enja)
  • 『オルタネット・スペイセズ』 - Alternate Spaces (1979年、India Navigation)
  • Flying Out (1982年、India Navigation)
  • Roots of Blue (1986年、RPR) ※with ムハル・リチャード・エイブラムス
  • Unspoken (1997年、Palmetto)

参加アルバム

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ジャッキー・マクリーン

ウェイン・ショーター

  • 『オデッセイ・オブ・イスカ』 - Odyssey of Iska (1971年、Blue Note)
  • 『エトセトラ』 - Et Cetera (1980年、Blue Note) ※1965年録音

ファラオ・サンダース

アルマナック

  • 『アルマナック』 - Almanac (1977年、Improvising Artists) ※with ベニー・モウピン、マイク・ノック、エディ・マーシャル

アーチー・シェップ

マッコイ・タイナー

関連項目

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脚注

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  1. ^ allmusic ((( Cecil McBee > Biography )))

外部リンク

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