スーダン解放軍(―かいほうぐん、SLA)はスーダン西部ダルフールの反政府武装勢力の一つスーダン解放運動アラビア語حركة تحرير السودان, ḥarakat taḥrīr as-Sūdan, SLM)の軍事部門で2003年以降のダルフール紛争における主要な軍事組織である。2002年ダルフール解放戦線(DLF)の名で結成され分離独立を掲げたが、2003年以降はジャンジャウィードの攻撃に対抗したフール人を中心とした緩やかな組織で「ハルツーム政権を打倒し、民主的で統一されたスーダンを創る」としてアブデルワヒド・モハマド・ヌールが指導者となった。2006年1月20日には正義と平等運動(JEM)と統合して西部スーダン革命勢力同盟(ARFWS)を結成すると発表したが5月までに不調に終わった。

ブッシュと握手するミナウィ(2006年7月25日ワシントン)

2006年5月ザガワのミニ・ミナウィ率いるSLAミナウィ派は反政府勢力の中で唯一スーダン政府との和平合意(DPA)に応じた[1]が、フール人には合意内容への反対が強くヌールやアフメド・アブドゥルシャフィ・バッセイら和平反対派のSLAグループ19などと分裂した。ヌールはフール人民衆の支持は得ているが、組織としてはバッセイ派などが分裂した。ミナウィ派はこれ以降政府側から戦闘に参加し住民に暴力を振るうようになった[2][3]。2006年8月にはミナウィ派以外のSLAが他の武装勢力と結成した国民救済戦線とミナウィ派の指揮するジャンジャウィードが交戦した[4]。ミナウィはオマル・アル=バシール政権の特別顧問となり、2007年4月にはダルフール暫定地域機構 (Transitional Darfur Regional Authorityの議長に就任した。

2007年9月30日にSLAが南ダルフール州ハスカニタのアフリカ連合ダルフール派遣団 (AMIS)の基地を襲い、10月5日にはジャンジャウィードがAMISを襲った。

脚註

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