スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ (トルブチェフスク公)
スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ(ロシア語: Святослав Всеволодович、? - 1232年以降)は、トルブチェフスク公・クルスク公フセヴォロドの子である。トルブチェフスク公(在位:1196年 - 1232年以降)。
スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ Святослав Всеволодович | |
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トルブチェフスク公 | |
在位 | 1196年 - 1232年以降 |
死去 |
1232年以降 |
配偶者 | マリヤ |
子女 |
ヴァシリー アンドレイ |
家名 | リューリク家 |
父親 | トルブチェフスク公・クルスク公フセヴォロド |
母親 | オリガ・グレボヴナ |
生涯
編集1223年のカルカ河畔の戦いに関して、クルスク・トルブチェフスク・プチヴリの兵が参戦したという記述があることから、クルスク公オレグ、プチヴリ公イジャスラフらと共に、スヴャトスラフもまたこの戦いに参戦したと考えられる。また、スヴャトスラフはこの戦いから帰還している。
1220年代後半の、チェルニゴフ公ミハイルが、ノヴゴロド公ヤロスラフと闘争を繰り広げていた時期に、ノヴゴロド領プスコフに向かい、ボヤーレとの会談を行った。
1232年以降、ルーシの年代記(レートピシ)上にスヴャトスラフに関する言及は見られない。
妻子
編集妻の名はマリヤ(出自不明)。子には以下の人物がいる。
- ヴァシリー
- アンドレイ
参考文献
編集- Войтович Л. Ольговичі. Чернігівські і Сіверські князі // Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження. — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000.