スヴィシュトフ
座標: 北緯43度37分 東経25度21分 / 北緯43.617度 東経25.350度
スヴィシュトフ(ブルガリア語:Свищо̀в [sfiʃˈtɔf] / Svishtov)は、ブルガリア北東部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ヴェリコ・タルノヴォ州に属する。ドナウ川右岸に位置し、オスマン帝国の統治下ではジシュトヴィ(Ziştovi)と呼ばれた。
歴史
編集スヴィシュトフは、クラウディオス・プトレマイオスによって言及された古代ローマの植民市であるノヴァエ(Novae)と同定された。この町はローマ帝国による北方の蛮族に対する征伐に利用されてきた。
また同地は、短期間テオドリックによる東ゴート王国の首都がおかれていた。テオドリック大王はマケドニア、ギリシャを侵略した後、シンギドゥヌム(Singidunum、ベオグラード)を471年に征服し、その後483年にドナウ川下流のノヴァエ(スヴィシュトフ)に居を構えた。テオドリックは後年、活動の中心をイタリアに移す間での間、ノヴァエに留まった。
ノヴァエの町は613年以降に破壊された。これは、この土地で発掘されるコインは613年までに鋳造されたものであったことからわかる。その正確な位置は現在のスヴィシュトフの町よりも西のスタクレン(Staklen)であったが、16世紀にオスマン帝国との戦争によって町が破壊された後に町の中心は東へ移動した。
1790年に署名された和平合意が結ばれた場所はスヴィシュトフであり、これによってオーストリアとオスマン帝国の国境が画定された。町は1810年にロシア人によって焼き払われたが、1820年以降に再建が始まり、ドナウ川下流への蒸気機関輸送の導入(1835年)によって町は栄華を取り戻した。ルーマニアの町アレクサンドリア(Alexandria)は、露土戦争によって脱出したスヴィシュトフ出身者によって築かれた町である。また、スヴィシュトフは露土戦争によって最初に解放された町として知られる。
南極、サウス・シェトランド諸島のリヴィングストン島にあるスヴィシュトフ洞窟はこの町にちなんで命名された。
ギャラリー
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至聖三者大聖堂
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至聖三者大聖堂
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ドナウ川に面する港湾施設
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アレコ・コンスタンティノフ博物館
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1824年当時の様子
町村
編集スヴィシュトフ基礎自治体(Община Свищов)には、その中心であるスヴィシュトフをはじめ、以下の町村(集落)が存在している。
姉妹都市・友好都市
編集姉妹都市
編集友好都市
編集脚注
編集- ^Главна Дирекция - Гражданска Регистрация и Административно Обслужване (2009年6月15日). “Таблица на населението по постоянен и настоящ адрес” (ブルガリア語). 2009年7月30日閲覧。