スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ
スラヴァシャ・ヨカノヴィッチ(Slaviša Jokanović 1968年8月16日 - )は、ユーゴスラビア(現:セルビア)・ヴォイヴォディナ自治州南バチュカ郡ノヴィ・サド出身の元ユーゴスラビア代表サッカー選手。現指導者。
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マッカビ・テルアビブFC監督時のヨカノヴィッチ (2015年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ Slaviša Jokanović | |||||
セルビア語 | Славиша Јокановић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | セルビア | |||||
生年月日 | 1968年8月16日(56歳) | |||||
出身地 | ユーゴスラビア ノヴィ・サド | |||||
身長 | 190cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1985–1986 | ノヴィ・サド | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986–1988 | ノヴィ・サド | 35 | ||||
1988–1990 | ヴォイヴォディナ | 54 | (10) | |||
1990–1993 | パルチザン・ベオグラード | 61 | (20) | |||
1993–1995 | レアル・オビエド | 62 | (12) | |||
1995–1999 | テネリフェ | 123 | (17) | |||
1999–2000 | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | 23 | (2) | |||
2000–2002 | チェルシー | 39 | (0) | |||
2003–2004 | シウダ・デ・ムルシア | 6 | (0) | |||
通算 | 403 | (66) | ||||
代表歴 | ||||||
1991–2002 | ユーゴスラビア | 64 | (10) | |||
監督歴 | ||||||
2007–2009 | パルチザン・ベオグラード | |||||
2012–2013 | ムアントン・ユナイテッド | |||||
2013 | レフスキ・ソフィア | |||||
2014 | エルクレス | |||||
2014–2015 | ワトフォード | |||||
2015 | マッカビ・テルアビブ | |||||
2015–2018 | フラム | |||||
2019–2021 | アル・ガラファ | |||||
2021 | シェフィールド・ユナイテッド | |||||
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来歴
編集クラブ
編集1986年にFKノヴィ・サドでプロデビュー。1988年にFKヴォイヴォディナ・ノヴィ・サドに移籍し、ユーゴスラビア・プルヴァ・リーガ優勝を経験。1990年にパルチザン・ベオグラードに移籍し、1993年までプレーした。
1993年、スペインに渡り、レアル・オビエドに移籍。1994-95シーズンはロベルト・プロシネツキと共にプレー。1995年にCDテネリフェに移籍し、1997年からはロイ・マカーイと共にプレー。1999年にマカーイと共にデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍。1999-2000シーズン、FCバルセロナを抑えてリーガ制覇を達成した[1]。
2000年から2シーズンはプレミアリーグのチェルシーFCでプレー。その後スペインに戻り、シウダ・デ・ムルシアでプレーし、2004年に引退した。
代表
編集1991年2月27日のトルコとの親善試合でユーゴスラビア代表デビューを果たすも、1992年に勃発したユーゴスラビア紛争により、代表チームはUEFA EURO '92の出場権剥奪を余儀なくされた。その後国家分裂などで代表チームも大きく再編された後、1998 FIFAワールドカップとUEFA EURO 2000に出場した。
監督
編集2007年から2シーズン古巣のパルチザン・ベオグラードの監督を務める。
2012年から2シーズンはタイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッドFCの監督を務め、2012年シーズンにリーグ優勝を達成。
2014年10月7日、イングランド・フットボールリーグ・チャンピオンシップのワトフォードFCの監督に就任[2]。同シーズン2位で終え、2006-07シーズン以来のプレミアリーグに導いたものの、シーズン終了に退任 (後任はキケ・サンチェス・フローレス)[3]。
2015-16シーズンはマッカビ・テルアビブFCの監督を務めていたものの、2015年12月27日に当時フットボールリーグ・チャンピオンシップに所属していたフラムFCの監督に就任[4]。2017-18シーズン、フラムはリーグ6位に入り、昇格プレーオフ出場権を獲得。プレーオフではダービー・カウンティFCを破り、続くアストン・ヴィラFC戦も勝利し、2013-14シーズン以来のプレミアリーグ復帰をもたらした[5]。しかし、2018-19シーズンは、開幕から低調なパフォーマンスに終始し、2018年11月14日に解任された[6]。
2019年6月17日、アル・ガラファの監督に就任した[7]。
2021年5月27日、シェフィールド・ユナイテッドFCの監督に就任した[8]。2021年11月25日に解任された[9]。
代表歴
編集出場大会
編集試合数
編集- 国際Aマッチ 64試合 10得点(1991年-2002年)[10]
ユーゴスラビア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1991 | 6 | 0 |
1992 | 0 | 0 |
1993 | 0 | 0 |
1994 | 2 | 0 |
1995 | 2 | 0 |
1996 | 7 | 2 |
1997 | 11 | 3 |
1998 | 13 | 3 |
1999 | 6 | 0 |
2000 | 9 | 1 |
2001 | 5 | 1 |
2002 | 3 | 0 |
通算 | 64 | 10 |
脚注
編集- ^ “Jokanovic, El Motor Serbio Que Triunfó En España”. Kaiser Football (2015年1月1日). 2018年6月4日閲覧。
- ^ “Watford: Slavisa Jokanovic replaces Billy McKinlay as boss”. BBC.com (2015年10月7日). 2018年6月4日閲覧。
- ^ “Watford: Quique Sanchez Flores replaces Slavisa Jokanovic”. BBC.com (2015年6月5日). 2018年6月4日閲覧。
- ^ “Slavisa Jokanovic: Fulham appoint Serb as new head coach”. BBC.com (2015年12月27日). 2018年6月4日閲覧。
- ^ “Aston Villa 0-1 Fulham”. BBC.com (2018年5月26日). 2018年6月4日閲覧。
- ^ “最下位フルアムがミラクル・レスターを率いたラニエリ監督を招へい!”. 超ワールドサッカー (2018年11月14日). 2018年11月14日閲覧。
- ^ “Welcome @Jokanovic”. Twitter (17 June 2019). 2021年2月5日閲覧。
- ^ “シェフィールド・ユナイテッドが新監督にスラビシャ・ヨカノビッチ氏を招へい”. 超ワールドサッカー (2021年5月28日). 2021年5月28日閲覧。
- ^ “Sheffield United replace Slavisa Jokanovic with Paul Heckingbottom”. BBC Sport. (2021年11月25日) 2022年2月15日閲覧。
- ^ スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - National-Football-Teams.com
外部リンク
編集- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - National-Football-Teams.com
- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - Soccerbase.comによる選手データ
- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - FootballDatabase.eu
- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - WorldFootball.net
- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - Transfermarkt.comによる選手データ
- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - FIFA主催大会成績
- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - playmakerstats.com
- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ - BDFutbol.com
- National team data