スパニッシュ・タウン
ジャマイカの都市
スパニッシュ・タウン(Spanish Town)は、16世紀から19世紀の間の、スペイン領および英国領時代のジャマイカの首都で、英国国外の最古の聖公会の教会がある。
スパニッシュ・タウン Spanish Town | |
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位置 | |
位置 | |
座標 : 北緯17度59分45秒 西経76度57分18秒 / 北緯17.9959度 西経76.9551度 | |
歴史 | |
創設 | 1534年 |
行政 | |
国 | ジャマイカ |
郡 | ミドルセックス郡 |
教区 | セント・キャサリン教区 |
スパニッシュ・タウン | |
人口 | |
人口 | (2009年現在) |
域 | 158,458人 |
その他 | |
等時帯 | 東部標準時 (UTC-5) |
夏時間 | なし |
市外局番 | 876 |
公式ウェブサイト : [1] |
1534年、スペイン人は、植民地の首都として、ビジャ・デ・ラ・ベガを建設する。後に、それはサンティアゴ・デ・ラ・ベガと呼ばれた。先住民のタイノ族がこの地に住んでいたが、ジャマイカ島南部では最初のヨーロッパ人の居住地となる。1655年に英国がジャマイカを占領した時、スパニッシュ・タウンと改名した。この町が戦争による激しい被害を受けてから、英国統治が開始される間にはポート・ロイヤルに非公式な首都としての機能を移す。1692年、ポート・ロイヤルが地震によって壊滅し、再びスパニッシュ・タウンに首都を建設した。
町の中央には、ロドニー記念館や、1872年までの知事の住居など、いくつかの古い様式の建物がある。かつて世界遺産の暫定リストに記載されていたことがあり、1988年の世界遺産委員会で審議もされたが、登録は見送られた[1]。2015年時点での暫定リストからは除外されている[2]。
スパニッシュ・タウンの人口は148,845人で、急激に増えており、そのため都市の暴力と犯罪が目に見えて増加している。政府による暴力を止めるための施策はどれもうまくいっていない。知事レイモス・ノーティスは、スパニッシュ・タウンの問題は十分な仕事と教育の機会ではなく、多すぎる銃にある、と発言した。
脚注
編集- ^ Report of the World Heritage Committee Twelfth Session : SC-88/CONF.001/13 (PDF) , pp.18-19
- ^ 世界遺産センターが示すジャマイカの情報(英語)2015年7月24日閲覧