スバルナ・プラバー・デビー
スバルナ・プラバー・デビー(Subarna Prabha Devi, 1779年 - 没年不詳)は、ネパール王国の君主ラナ・バハドゥル・シャハの第二正妃。
スバルナ・プラバー・デビー Subarna Prabha Devi | |
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ネパール王妃 | |
出生 |
1779年 |
死去 |
不詳 |
配偶者 | ラナ・バハドゥル・シャハ |
子女 |
ラノディヨート・ビクラム・シャハ シャムシェル・シャハ |
宗教 | ヒンドゥー教 |
生涯
編集1793年以前、ネパール王ラナ・バハドゥル・シャハと結婚した[1]。
1799年、ラナ・バハドゥルは溺愛した内妃カンティワティー・デビーとの間に生まれた庶子ギルバン・ユッダ・ビクラム・シャハに王位を譲った[2]。だが、これはスバルナ・プラバーとの間に生まれた嫡子ラノディヨート・ビクラム・シャハを差し置いての譲位であった[2]。だが、ラナ・バハドゥルは重臣ら95名に譲位を認める起請文を書かせたうえ、その戴冠式にはパルパ王プリトヴィーパーラ・セーナも招待させるなどし、この譲位を認めさせた[2]。
譲位後、ラナ・バハドゥルは第一正妃ラージ・ラジェシュワリー・デビーを摂政に任じ、愛妃カンティワティーとともにデウパタンへと移った[3]。 その後、ラナ・バハドゥルがダモダル・パンデとの対立でヴァーラーナシーへ赴くと、ラージ・ラジェシュワリーもそれに合流した[3]。そのため、第二正妃のスバルナ・プラバー・デビーがダモダルによって、新たな摂政につけられた[3]。
のち、ラナ・バハドゥルはラージ・ラジェシュワリーをカトマンズに送り返し、自身もビムセン・タパの助力でカトマンズに戻った[4]。これにより、スバルナ・プラバーはラージ・ラジェシュワリーに摂政を交代した。
脚注
編集参考文献
編集- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。