スチュアート・ホールデン
スチュアート・ホールデン(Stuart Holden, 1985年8月1日 - )は、スコットランド、アバディーン出身の元サッカー選手。アメリカ代表である。ポジションはミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
本名 |
スチュアート・アリステア・ホールデン Stuart Alistair Holden | |||||
ラテン文字 | Stuart HOLDEN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||
生年月日 | 1985年8月1日(39歳) | |||||
出身地 | スコットランド アバディーン | |||||
身長 | 180cm | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 引退 | |||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
2003-2004 | クレムゾン・タイガース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005 | サンダーランド | 0 | (0) | |||
2006-2009 | ヒューストン・ダイナモ | 88 | (15) | |||
2010-2014 | ボルトン | 30 | (2) | |||
2013 | → シェフィールド・W (loan) | 4 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2004-2005 | アメリカ合衆国 U-20 | 11 | (2) | |||
2007-2008 | アメリカ合衆国 U-23 | 7 | (1) | |||
2009- | アメリカ合衆国 | 25 | (3) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年10月21日現在。 2. 2014年10月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集スコットランドのアバディーンに生まれたが、10歳の時に家族とともにテキサス州シュガーランドに引越し、そこで育った[1]。彼の父親はシェブロンの人材部門で働いていた[2]。ホールデンはクレムソン大学のサッカークラブで2年間プレーし、2005年3月にイングランド・プレミアリーグのサンダーランドAFCと契約した。しかし、3月12日にニューカッスルのバーの外で襲われて左眼窩を損傷し[3]、トップチームでの出場はかなわなかった。
- ヒューストン・ダイナモ
2006年、生まれ育ったテキサス州のヒューストン・ダイナモに移った[4]。5月27日にMLSデビューを果たし、7月22日のニューイングランド・レボリューション戦で初ゴールを決めた。2006年のレギュラーシーズンは13試合に出場し、MLSカップでは2試合に出場した。優勝を決めるPK戦では2番目のキッカーとして登場し、右上隅に決めた。2007年シーズンはブラッド・デイヴィスの怪我などもあって出場機会が増加し、主に左ウイングで出場した。7月25日の試合では2得点と3アシストを決めた。2008年にはアメリカサッカー界の博愛主義者賞(Humanitarian of the Year)を受賞した。
- ボルトン・ワンダラーズ
2009年シーズン終了後にイングランドで数週間の間トレーニングを受け、2010年1月25日にボルトン・ワンダラーズFCとの契約にサインした[5] [6]。オーウェン・コイル監督が率いるこのチームでは、2月24日のFAカップ・トッテナム・ホットスパーFC戦でデビューし、90分間フル出場した[7]。リーグ戦デビューは2月27日のウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC戦で、フル出場して1-0でウルヴズに勝利した。
2010-2011シーズンはレギュラーに定着、チームの司令塔としてボルトンの快進撃を支える活躍を披露。チーム11年ぶりのFAカップ準決勝進出にも貢献していたが、3月19日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦でジョニー・エヴァンズから悪質なタックルを受け膝を負傷。全治6ヶ月と診断され、シーズンを終える。ホールデンを失ったボルトンはウェンブリー・スタジアムで行われたFAカップ準決勝ストーク・シティFC戦で5-0で完敗。リーグでも2勝6敗と急失速し、それまで7位だった順位も14位に落ちてシーズンを終える。このシーズンの活躍を評価され、ボルトンの年間最優秀選手に選ばれる。[8]
2011-2012シーズンは前述の怪我の影響で出遅れていたが、9月20日のカーリングカップアストン・ヴィラFC戦で復帰し90分間プレー。その後、急を要するものではないが万全を期すために膝の手術を受けた。全治6週間と報道されていたが、[9] その手術で軟骨の損傷が見つかり、全治6ヶ月と診断された。[10]
代表
編集U-20アメリカ代表として11試合に出場した。2007年初めにはU-23アメリカ代表の合宿に参加し、12月には中国に遠征してU-23中国代表と戦った。2008年7月、北京オリンピックに出場するメンバーに招集され、8月7日の日本戦で得点した[11] [12]。2009年7月にはCONCACAFゴールドカップに出場し、7月4日のグレナダ戦で初出場と初ゴールを記録し、7月11日のハイチ戦では先制点をアシストしたほか、92分に30ヤードの距離からゴールを決めて引き分けに持ち込んだ。2-0で勝利した準決勝のホンジュラス戦では2アシストを記録し、これらの活躍から大会のベストイレブンに選ばれた[13]。
2010年5月27日、2010 FIFAワールドカップ本大会に向けたアメリカ代表メンバーに選ばれた[14]。
家族
編集ホールデンはスコットランドに生まれ、10歳のときにアメリカ合衆国に移住した。2006年にアメリカ市民権を得ている[2]。父親は16年もの闘病生活の末、2009年はじめに膵臓癌のため亡くなった。父親が亡くなって以来、ホールデンはLivestrongプロジェクトのリストバンドを身に付けている。母親と姉妹はヒューストンで暮らしている[15]。弟のユアン・ホールデンはヴェイレBKでプレーするプロサッカー選手である。
逸話
編集カウンターストライクの元プロゲーマーで2002年のWorld Cyber Games、 2003年のCyberathlete Professional League 等の世界大会にも出場。クレムソン大学時代にサッカーに専念。
所属クラブ
編集- 2005 サンダーランドAFC
- 2006-2009 ヒューストン・ダイナモ
- 2010-2014 ボルトン・ワンダラーズFC
- → 2013 シェフィールド・ウェンズデイFC (loan)
個人成績
編集代表での得点
編集# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
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1 | 2007年6月2日 | サンノゼ | 中国 | 2–1 | 4–1 | 親善試合 |
2 | 2007年6月24日 | シカゴ | メキシコ | 2–1 | 2–1 | 2007 CONCACAFゴールドカップ |
3 | 2013年7月9日 | ポートランド | ベリーズ | 4–1 | 6–1 | 2013 CONCACAFゴールドカップ |
タイトル
編集- ヒューストン・ダイナモ
- MLSカップ:2006, 2007
- 個人
- MLSベストイレブン:2009
- CONCACAFゴールドカップベストイレブン:2009
脚注
編集- ^ Holden, USA's tartan treasureFIFA.com、2009年7月14日
- ^ a b Understudy Is Hitting His Marks for U.S. Team New York Times、2009年7月25日
- ^ Footballer's Eye Socket Smashed By Thugs Sky、2005年3月23日
- ^ W杯選手名鑑:スチュアート・ホールデンGoal.com、2010年5月27日
- ^ Bolton announce capture of free agent Stuart HoldenESPN Soccernet、2010年1月26日
- ^ Dynamo’s Holden Signs With Bolton Until End Of SeasonGoal.com、2010年1月25日
- ^ Tottenham 4-0 BoltonBBC Sport、2010年2月24日
- ^ Holden Receives Top AwardBolton Wanderers official website
- ^ ボルトンMFホールデンが再離脱Goal.com
- ^ ボルトンMF、軟骨損傷で6カ月の離脱Goal.com、2011年9月29日
- ^ Holden hits US past JapanFIFA.com
- ^ 選手名鑑:スチュアート・ホールデンサウスアフリカ2010
- ^ Dos Santos Chosen as Gold Cup MVPCONCACAF、2009年7月26日
- ^ アメリカ代表23名決定Football Web Magazine
- ^ Holden: Playing For The U.S. A No-BrainerGoal.com、2009年9月23日