スチュアート・ピゴット

スチュアート・アーネスト・ピゴット(Stuart Ernest Piggott, 1910年5月28日 - 1996年9月23日)は、イギリス考古学者ウェセックス文化の命名など、先史時代のイギリス研究で有名。

スチュアート・ピゴット
人物情報
全名 スチュアート・アーネスト・ピゴット
生誕 1910年5月28日
イギリスの旗 イギリスハンプシャー州ピーターズフィールド英語版
死没 (1996-09-23) 1996年9月23日(86歳没)
イギリスの旗 イギリスオックスフォードシャー州ウォンティッジ英語版
国籍 イギリスの旗 イギリス
配偶者 マーガレット・ギドー英語版
学問
時代 20世紀
活動地域 イギリス
研究分野 考古学
研究機関 エディンバラ大学
主な業績 ウェセックス文化の命名
影響を受けた人物 モータイマー・ウィーラー英語版
主な受賞歴 大英帝国勲章1972年
テンプレートを表示

生い立ち

編集

ハンプシャー州ピーターズフィールド英語版に生まれ、チャーチャーズ・カレッジ英語版で教育を受ける[1]

経歴

編集

1927年にカレッジを卒業したのち、レディング博物館英語版の助手として働き始め、新石器時代の土器について見識を深めた。

翌年にはウェールズ古代歴史遺跡王立委員会英語版に参加し、地元ピーターズフィールドからほど近いバッツァー・ヒル英語版で次の5年間を過ごした。またエリオット・セシル・カーウェンと共にサセックスにおけるザ・トランドル英語版の発掘作業にも携わった。

1930年代に入るとアマチュア考古学者のアレキサンダー・キーラー英語版の下で働き始め、エーヴベリーケネット・アヴェニューという2つの有名な遺跡の発掘を行なった。1933年、彼は友人のグラハム・クラーク英語版と一緒に重要な文献"The age of the British flint mines"を発表した。その後考古学者としての学位を持っていなかった彼はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン考古学研究所英語版に入り、モータイマー・ウィーラー英語版の下で1936年に学位を取得した。またこの際、妻となるペギー(マーガレット・ギドー英語版)と出会った。1937年には別の論文"The early Bronze Age in Wessex"を発表し、39年にはチャールズ・フィリップス英語版の誘いで妻と一緒にサットン・フーの発掘調査に赴いた。

第二次世界大戦が始まると、彼は航空写真の解説員として働いた。インドに配属された彼はインド亜大陸の先史時代について研究を行い、複数の著書を発行した。これらの経験によって彼はヨーロッパの先史時代を客観的に見ることができるようになり、後の研究に大いに役立った。

戦争後、彼はウィリアム・ステュークリと共同で仕事をするためオックスフォード大学へ向かった。しかし1946年にはエディンバラ大学考古学部長のオファーがあり、そちらへ移った。そしてその後、彼はエディンバラ大学考古学部を世界に通用する学部へと成長させた。同大学でも彼は広範な執筆活動を行い、1954年に発行された"Neolithic Cultures of the British Isles"は当時大きな影響力を発揮した。しかし、のちに放射性炭素年代測定が行われるようになると著書で行われた測定年代に誤りがあることが明らかになった。彼は「放射性炭素年代測定は考古学的に受け入れられない」とし、その根拠として他の考古学的証拠が彼の年代測定の正しさを証明していることを挙げた。また1965年に発行された"Ancient Europe"は先史時代の専門書として20年にわたって好評を博し、古代ヨーロッパの連続性についての彼の考えを世に広めた。

1958年、彼はスコットランドの先史時代についての著書"Scotland before History"を発行し、翌年には考古学の入門書"Approach to Archaeology"を発行した。その後彼はスコットランドやイングランドの考古学会の会長を務め、大英博物館の理事も務めた。

1996年9月、オックスフォードシャー州ウォンティッジ英語版の自宅で心筋梗塞を起こし死亡した。

家族

編集

1936年に同じく考古学者のマーガレット・ギドー英語版と結婚したが、21年後の1956年に離婚した[1]

著書

編集

訳書が出版されているもの[2]

  • 鶴岡真弓訳『ケルトの賢者「ドルイド」:語りつがれる「知」』講談社、2000年

脚注

編集
  1. ^ a b Biographical Index of Former Fellows of the Royal Society of Edinburgh 1783–2002. The Royal Society of Edinburgh. (July 2006). ISBN 0-902-198-84-X. https://www.royalsoced.org.uk/cms/files/fellows/biographical_index/fells_indexp2.pdf 
  2. ^ ケルトの賢者「ドルイド」 : 語りつがれる「知」”. 国立国会図書館. 2021年9月29日閲覧。

出典

編集