スタンウェル
スタンウェル (Stanwell) は、イングランド南東部サリー州スペルソーン行政区(バラ)にある郊外の村。チャリング・クロスから西南西に15.7マイル(24.8km)の位置にあり、ロンドン・ヒースロー空港の南縁、すなわちヒリンドン・ロンドン特別区の南縁から半マイル(0.8km)のところにある。2001年の国勢調査の時点で、調査区 Stanwell North は人口7,301人[1]、調査区 Stanwell South は人口4,766人であった[2]。
スタンウェル
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St. Mary's Church, Stanwell | |
サリーにおけるスタンウェルの位置 | |
人口 | 12,067人 |
英式座標 | TQ055735 |
非都市ディストリクト |
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シャイア・カウンティ | |
リージョン | |
構成国 | イングランド |
国 | イギリス |
郵便地域 | Staines |
郵便番号 | TW19 |
市外局番 | 01784 |
警察 | サリー |
消防 | サリー |
救急医療 | サウス・イースト・コースト |
欧州議会 | サウス・イースト・イングランド |
英国議会 | |
歴史
編集地名の由来については、2つの説がある。ひとつは村にある聖アンの井戸 (St Anne's Well) に由来するというもので、より妥当に見えるもうひとつの説は "stone well" (「石の壁」の意)が転訛したとするものである[3]。地名の綴り字の最初の方は、この村に隣接し、同様に「石」に地名が由来するとされるステインズと同じになっている[4]。
スタンウェルは、1086年のドゥームズデイ・ブック(土地台帳)に Stanwelle として記録され、オセアの子、ウォルター (Walter, son of Othere) の所有地として、15ハイドの面積が記されている。そこには水車が4基あり、3ポンド10シリング(£3 10s 0d)とウナギ375匹分の価値と評価されており、以下、堰3基(ウナギ1000匹の価値)、犂 (plough)10本、草地(犂12本分の価値)、林地(豚12頭分の価値)があった。税額は14ポンドであった[5]。
1603年、初代ニヴィット男爵トマス・ニヴィットにスタンウェルのマナー(荘園)が下賜された。ニヴィット男爵は、火薬陰謀事件の際にガイ・フォークスを捕縛した人物である。ニヴィットはスタンウェルに無料の学校を作るよう遺言し、学校は1624年に創設された[6]。この学校の建物は、今もハイ・ストリートに存在しているが、現在は高齢者のデイ・センターとして使用されている[7]。スタンウェルにある聖メアリー教会は、12世紀に遡るもので、ナイヴェット卿夫妻の記念碑が残されている。この教会の建築には、ノルマン朝建築やゴシック建築の影響が認められる。1838年には、当時未知のバラの品種がスタンウェルの庭園で見つかり、「スタンウェル・パーペチュアル (Stanwell Perpetual)」(「永遠のスタンウェル」の意)と命名された。
1930年以降、スタンウェルは、ミドルセックス州のステインズ市街地区 (Staines Urban District)の一部となった。1965年には、1963年ロンドン自治法 (London Government Act 1963) によってミドルセックス州の大部分はグレーター・ロンドンに帰属することとなったが、ステインズ市街地区はサリー州に移管された。
第二次世界大戦後、住宅組合や公営住宅による大規模な住宅供給が進められたが、その大部分は空港で働く人々のためのものであった。 2004年、スタンウェルは全国的に開催されたイベント「Britain In Bloom」の都市コミュニティ部門で銅賞に入賞した[8]。
スタンウェル・プレイス
編集スタンウェル・プレイスは、集落から半マイルほど西へ離れた、パーク・ロードの北側にある17世紀のマナー・ハウスの跡である[9]。1754年から1933年までは、ギボンズ家 (the Gibbons) がマナーに関わる諸権利を有しており[10][11]、1800年代以降は、徐々にそのエステートを売却していった。屋敷を含めた一帯も1933年にジョン・ウィルター・ギブソン (John Watson Gibson) に売却されたが、その一部にあたる330エーカー (1.3 km2)は、1937年にはジョージ6世貯水池 (King George VI Reservoir) の開発のために水道局 (Metropolitan Water Board) に転売された。ギブソンの死後、1947年に、スタンウェル・プレイスは、イラク王国の国王ファイサル2世 (King Faisal II of Iraq) に売却され、1958年に国王が暗殺されるまで、その所有にとどまっていた[11]。エステートはその後、砂利採取場とするために売却され、地域住民による保存運動もあったものの屋敷は荒廃し、1960年代に建物は撤去された。
経済
編集かつて、ブリテリッシュ・メディテレーニアン・エアウェイズは、ハウンズロー・ロンドン特別区のサーラス・ハウス (the Cirrus House) に本社を置いていたが[12][13]、これはスタンウェルに隣接する場所であった[14]。
著名な住民
編集- トマス・ニヴィット (初代ニヴィット男爵) - 1601年に庶民院議員。1603年に火薬陰謀事件摘発の功により男爵位とスタンウェルのマナーを下賜され、貴族院議員、枢密顧問官などを歴任する。
- ニコラス・ヒリアード - Poyle Manor を借りて住んだ。
- James Nares - イングランドのオルガン奏者、作曲家。1715年に当地で生まれ、テレサ・コステロ (Teresa Costello) と結婚した[15]。
- Richard Cox - ,イギリスの園芸家。 Cox's Orange Pippinというリンゴの品種を開発し、当地のバース・ロードの庭で最初に栽培した。
- Sir John Watson Gibson - 土木建築家。当初は Stanwell Lodge に、次いで Stanwell Place に、1920年代から1947年に没するまで住んでいた[16]。
- Sir Allen Lane - ペンギン・ブックスの創業者。スタンウェル・ムーア (Stanwell Moor) の Silverbeck に住んでいた[17]。
- イラク国王ファイサル2世 (King Faisal II of Iraq) - 1948年から暗殺された1958年までスタンウェル・プレイスを所有[11]。
- ゲイリー・ニューマン - 歌手。スタンウェルで育ち、地元の Abbotsford School に学んだ。
- Pete Shaw - 作家、演出家。スタンウェルの Short Lane で育った。
- Vonn Ströpp - シュルレアリスムの画家。1962年にスタンウェルで生まれた。
関連項目
編集出典・脚注
編集- ^ “Area: Stanwell North (Ward)”. Office for National Statistics. 2012年3月20日閲覧。
- ^ “Area: Stanwell South (Ward)”. Office for National Statistics. 2012年3月20日閲覧。
- ^ “Staines - History - Encyclopedia II”. Global Oneness. 2012年3月20日閲覧。
- ^ “Stanwell, A Wisdom Archive on Stanwell”. Global Oneness. 2012年3月20日閲覧。
- ^ Surrey Domesday Book Archived 2007年10月30日, at the Wayback Machine. - リンク切れ
- ^ “Stanwell: Schools”. A History of the County of Middlesex: Volume 3: Shepperton, Staines, Stanwell, Sunbury, Teddington, Heston and Isleworth, Twickenham, Cowley, Cranford, West Drayton, Greenford, Hanwell, Harefield and Harlington. (1962). pp. 49-50 2012年3月23日閲覧。
- ^ “[1] Spelthorne Borough Council Lorf Knyvett Centre]”. Spelthorne Borough Council. 2012年3月23日閲覧。
- ^ “2004 Award Winners” (DOC). the Royal Horticultural Society. 2012年3月20日閲覧。
- ^ Google Maps – Location of Stanwell Place (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- ^ “Stanwell: Introduction”. A History of the County of Middlesex: Volume 3: Shepperton, Staines, Stanwell, Sunbury, Teddington, Heston and Isleworth, Twickenham, Cowley, Cranford, West Drayton, Greenford, Hanwell, Harefield and Harlington. (1962). pp. 33-36 2012年3月23日閲覧。
- ^ a b c “Stanwell: Manors”. A History of the County of Middlesex: Volume 3: Shepperton, Staines, Stanwell, Sunbury, Teddington, Heston and Isleworth, Twickenham, Cowley, Cranford, West Drayton, Greenford, Hanwell, Harefield and Harlington. (1962). pp. 36-41 2012年3月23日閲覧。
- ^ "Contact." British Mediterranean Airways. December 10, 2004. Retrieved on November 21, 2011. "BMED Cirrus House, Bedfont Road London Heathrow Airport Staines, Middlesex TW19 7NL, UK "
- ^ "FAQ's → How can I find out about employment opportunities with BMed?." British Mediterranean Airways. 12 February 2004. Retrieved on 21 November 2011. "Please write to us at : British Mediterranean Airways Human Resources Manager Cirrus House Bedfont Road London Heathrow Airport Staines Middlesex TW19 7NL England"
- ^ "Details of Planning Application - 10/03822/LB Archived 2012年4月25日, at the Wayback Machine.." London Borough of Croydon. Retrieved on 21 November 2011. "Amey Built Environment Cirrus House Bedfont Road Stanwell Middlesex TW19 7NL"
- ^ “Nates (narz), James. 1715-1783” (TXT). The American History and Encyclopedia of Music 2012年3月23日閲覧。
- ^ Howard Gibson and Leo D'Erlanger, ‘Gibson, Sir John Watson (1885–1947)’, rev. Robert Sharp, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004 - 購読契約が必要な閲覧可能リンク
- ^ “Penguin Special Archive highlights”. Bristol University. 2010年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月23日閲覧。