スタニスワフ・モニューシュコ
スタニスワフ・モニューシュコ(Stanisław Moniuszko, 1819年5月5日 - 1872年6月4日)は、ポーランド人指揮者・作曲家。なお、NHKをはじめとした日本の放送局やレコード販売業者や興行業者はモニューシコとしている。
スタニスワフ・モニューシュコ | |
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基本情報 | |
生誕 | 1819年5月5日 |
出身地 | ロシア帝国、ミンスク近郊ウビェル |
死没 |
1872年6月4日(53歳没) ロシア帝国、ワルシャワ |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者・作曲家 |
経歴
編集ポーランド語の歌劇や声楽曲により知られる。大衆的な題材を用いて、愛国主義的な舞台作品を残し、同じような傾向のバレエ音楽も手がけた。このためにポーランド・オペラの父と称される。アダム・ミツキエヴィチらの詩による12冊の歌曲集も残した。ワルシャワのポヴォンスキ墓地に埋葬されている。ポーランドと歴史的・文化的にゆかりの深いリトアニアでも活動し、門人にセザール・キュイがいる。カロル・シマノフスキは、「国際的なショパンとローカルなモニューシュコ」という比較を行い、モニューシュコのもつ安易な地域色を克服することが20世紀ポーランド楽壇の課題であると喝破した。
主要作品
編集歌劇
編集- ハルカ Halka(1847~48頃)
- いかだ乗り Flis (1858頃)
- ロキチャナ Rokiczana (1859頃)(未完)
- 伯爵夫人 Hrabina (1859頃)
- 貴族の言葉 Verbum Nobile (1860頃)
- 幽霊屋敷 Straszny Dwór (1861~1864)
- パリア Paria (1859~1869)
バレエ音楽
編集- ウィンザーの陽気な女房たち Merry Wives of Windsor (1849頃)
- モンテ・クリスト伯 Monte Christo (1866)
- 宿舎にて Na kwaterunku (1868)
- 悪魔のいたずら Figle szatana (1870)
脚注
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