スタッド・オリンピック・ドゥ・ラデ
スタッド・オリンピック・ドゥ・ラデ(Stade Olympique de Radès)は、チュニジアのラデスにある多目的スタジアム。チュニスに本拠地を置く二つのサッカークラブ・エスペランス・スポルティーブ・ドゥ・チュニスおよびクラブ・アフリカーンのホームスタジアムで、サッカーチュニジア代表の試合も開催されている。
スタッド・オリンピック・ドゥ・ラデ Stade Olympique de Radès | |
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施設情報 | |
所在地 | ラデス, チュニジア |
位置 | 北緯36度44分52秒 東経10度16分22秒 / 北緯36.74778度 東経10.27278度座標: 北緯36度44分52秒 東経10度16分22秒 / 北緯36.74778度 東経10.27278度 |
起工 | 1998年 |
開場 | 2001年 |
拡張 | 2005 |
グラウンド | 芝 |
建設費 | 1億7000万ディナール |
旧称 | |
スタッド・セット・ノヴェンブル (Stade 7 November) | |
使用チーム、大会 | |
エスペランス・スポルティーブ・ドゥ・チュニス クラブ・アフリカーン サッカーチュニジア代表 | |
収容人員 | |
60,000人[1] |
歴史
編集2001年の地中海競技大会のために建設された。建設当初の名称はスタッド・セット・ノヴェンブルで、これは第2代大統領のザイン・アル=アービディーン・ベン・アリーが大統領に就任した1987年11月7日にちなんでいる。2001年7月、こけら落としのチュニジアカップ決勝(CSハマムリフvsエトワール・サヘル)が開催された。地中海競技大会終了後はクラブ・アフリカーンとエスペランス・チュニスのホームスタジアムとして活用され、サッカーチュニジア代表の試合も開催されている。
2004年にはアフリカネイションズカップ2004の試合会場となった。
2010年7月28日、トロフェ・デ・シャンピオンのパリ・サンジェルマンFCvsオリンピック・マルセイユが開催された。
2011年、ジャスミン革命によりベン・アリーは大統領を辞任しサウジアラビアに亡命。これを受けてスタジアムの名称が現在のスタッド・オリンピック・ドゥ・ラデに改められた。
ギャラリー
編集-
チュニジア代表とオランダ代表の親善試合(2009年2月)
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2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選・チュニジア代表対モザンビーク代表
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トロフェ・デ・シャンピオン2010 PSG対マルセイユ