ジーン・マイケル
ユージーン・リチャード・マイケル(Eugene Richard Michael, 1938年6月2日 - 2017年9月7日)はMLBの元野球選手、監督。アメリカ合衆国・オハイオ州ケント出身。ニックネームは"Stick"(スティック)。現役時代は隠し玉の名手と知られ、5度記録している。
ジーン・マイケル(2014年撮影) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アメリカ合衆国・オハイオ州ケント |
生年月日 | 1938年6月2日 |
没年月日 | 2017年9月7日(79歳没) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 183 lb =約83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 遊撃手、二塁手 |
プロ入り | 1959年 アマチュアFAでパイレーツに入団 |
初出場 | 1966年6月15日 |
最終出場 | 1975年9月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
経歴
編集現役時代
編集高校卒業後に進学したケント州立大学では、野球の他にバスケットボールもプレーしていた。
1959年、ピッツバーグ・パイレーツに入団。Cクラスのグランドフォークス・チーフスでプレー。
1960年はチーフスでプレー後、Aクラスのサバンナ・パイレーツに昇格。
1962年から1963年はBクラスのキンストン・イーグルスでプレー(1963年はチームがAクラスに昇格)。
1964年から1966年までAAA級のコロンバス・ジェッツでプレー。1966年6月15日のシカゴ・カブス戦で代走として出場しメジャーデビューを果たした。
1966年12月1日、モーリー・ウィルスとのトレードでボブ・ベイリーと共にロサンゼルス・ドジャースに移籍。
1975年1月21日、ヤンキースを放出され、2月1日にデトロイト・タイガースに入団。10月22日、タイガースを解雇される。
1976年2月15日、ボストン・レッドソックスに入団するも、プレーすることなく5月4日に放出され、現役を引退した。
引退後
編集現役引退後は古巣・ヤンキースでコーチに就任。
1981年には監督に就任したがシーズン途中で解任。後任にボブ・レモンが就任した。同年に起こった50日間に及ぶストライキの影響でGMを辞任した。
1982年、ボブ・レモンが開幕14試合目で解任され、後任として監督に就任。オフに辞任した。
1987年のシーズン途中に監督を辞任。
1990年、ヤンキースのGMに復帰。他球団のスター選手を買い占める方針からファームで選手を育てる方針に変更。就任中にマリアノ・リベラ、アンディ・ペティット、デレク・ジーター、ジョージ・ポサダなど後にヤンキースのスターとなる選手を獲得した。その結果、1994年はリーグ史上最高成績の成績を収め、ヤンキースの黄金時代を再び創り上げた。
1995年オフ、ストライキの影響でGMを解任され、スカウトに異動。
2003年、シニア・アドバイザーに就任した。
脚注
編集- ^ “ヤ軍元監督マイケル氏死去、松井秀喜氏獲得にも貢献”. 日刊スポーツ. (2017年9月8日) 2017年9月8日閲覧。