ジョー・マーサー (競馬)
ジョセフ・マーサー(Joseph Mercer、1934年10月21日 - 2021年5月17日)は、引退したイギリスのサラブレッド競走の騎手である。
経歴
編集1947年から1985年まで騎手として活躍し、合計2,810の勝鞍を挙げた。この数字はマーサーの引退時にはサー・ゴードン・リチャーズ (Gordon Richards) 、レスター・ピゴット (Lester Piggott) およびダグ・スミス (Doug Smith) が上回っただけで、その後凌いだのもパット・エデリー (Pat Eddery) とウィリー・カーソン (Willie Carson) だけである[1]。
フレデリック・スニード (Frederick Sneyd) 調教師の見習い騎手となり、1953年まだ見習い期間中に英国クラシックレース初勝利をアンビギュイティのエプソムオークスで挙げた。また1952年と1953年の二度、英国の平地競走見習い騎手チャンピオンとなっている。
その後ジャック・コラン (Jack Colling) 、ディック・ハーン (Dick Hern) 、ヘンリー・セシル (Henry Cecil) およびピーター・ウォールウィン (Peter Walwyn) と専属契約を結び、セシル厩舎での期間中の1979年には、唯一となる英国の平地競走チャンピオンジョッキーのタイトルを獲得した。マーサーの騎乗キャリアで最も成功した馬は1970 - 1972年に18戦17勝したブリガディアジェラード (Brigadier Gerard) だった。1985年11月、騎手として最後の騎乗となるボールドレックス (Bold Rex) のノヴェンバーハンデキャップを勝利で飾り引退した。
その後の生活
編集騎手を引退したマーサーは、最初にブレント・トムソン (Brent Thomson) とトニー・マクグロン (Tony McGlone) の騎手エージェントとして働き、1987年にはマクトゥーム・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム (Maktoum bin Rashid Al Maktoum)( مكتوم بن راشد آل مكتوم )のゲインズバラのレーシングマネージャーの仕事を引き受けた。2006年1月に引退。
マーサーの兄弟のマニー・マーサー (Manny Mercer) も騎手で(1959年レース事故で死亡)、姪のキャロリン (Carolyn) はパット・エデリー (Pat Eddery) と結婚している。
主な騎乗馬
編集(騎乗時の主な勝鞍)
- タイムチャーター Time Charter, 1983 (キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス)
- クリス Kris, 1976 (セントジェームズパレスステークス、サセックスステークス、クイーンエリザベス2世ステークス、ロッキンジステークス)
- ルモス Le Moss, 1975 (ゴールドカップ)
- バスティノ Bustino, 1971 (セントレジャー、コロネーションカップ)
- ハイクレア Highclere, 1971 (1000ギニー、ディアヌ賞)
- サンプリンセス Sun Prince, 1969(ロベールパパン賞、クイーンアンステークス)
- ブリガディアジェラード Brigadier Gerard, 1968 (2000ギニー、セントジェームスパレスステークス、サセックスステークス、クイーンエリザベス2世ステークス、チャンピオンステークス(2回)、ロッキンジステークス、プリンスオブウェールズステークス、エクリプスステークス、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、クイーンエリザベス2世ステークス)
- リマンド Remand 1965 (チェスターヴェース、カンバーランドロッジステークス)
- スパニッシュエクスプレス [2] Spanish Express 1962 (ミドルパークステークス)
- フィダルゴ Fidalgo 1956 (アイリッシュダービー)
イギリスクラシック勝鞍
編集脚注
編集- ^ “https://twitter.com/racingpost/status/1394284608871600129”. Twitter. 2021年5月17日閲覧。
参考文献
編集- Wright, Howard (1986). The Encyclopedia of Flat Racing. Robert Hale. pp. p181. ISBN 0709026390