ジョー・サウスJoe South、1940年2月28日-2012年9月5日)はアメリカ合衆国シンガーソングライターでギタリストである。代表作に「孤独の影(Games People Play)」、リン・アンダーソンのカバー・バージョンがヒットした「ローズ・ガーデン」などがある。

ジョー・サウス
基本情報
出生名 Joseph Alfred Souter
生誕 1940年2月28日
出身地 米国ジョージア州アトランタ
死没 2012年9月5日(72歳)
職業 シンガーソングライター
ギタリスト
活動期間 1958–2012
レーベル キャピトル・レコード
共同作業者 リン・アンダーソン
ビリー・ジョー・ロイヤル
ビル・ロウリー
公式サイト www.joesouth.com

経歴

編集

本名はジョセフ・アルフレッド・サウター (Joseph Alfred Souter)。キャリアとして最初のレコードは、1958年7月にNRCレコードから出したノベルティヒットの「The Purple People Eater Meets the Witch Doctor」である。このヒットを皮切りに、サウスの音楽は次第に真面目なものになって行った。

1959年に、サウスはジーン・ヴィンセントによって録音された二つの曲を書いた。アルバム『Sounds Like Gene Vincent』(キャピトル・レコード、1959年)に収録された「I Might Have Known」と、アルバム『The Crazy Beat of Gene Vincent』(キャピトル・レコード、1963年)に収録された「Gone Gone Gone」である。

サウスは以前に、アトランタの音楽出版者でラジオパーソナリティーのビル・ロウリー (Bill Lowery)[1]に出会い、音楽の道を励まされていた。サウスはアトランタのナショナル・レコーディング・コーポレーション (en:National Recording CorporationNRC)でレコーディングのキャリアを始め、他のNRCアーチストのレイ・スティーヴンスジェリー・リードらと共にギター演奏スタッフとして働いた。サウスの最初期のレコーディングは、NRCでCDへ再レコーディング化された。

サウスは優れたスタジオ・ミュージシャンでもあり、トミー・ロウの「シェイラ」、ボブ・ディランのアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』、アレサ・フランクリンの「チェイン・オブ・フールズ」でギターを弾いている[2]。記録によっては、サイモン&ガーファンクルの最初のヒット曲「サウンド・オブ・サイレンス」に加えられたエレキギターのパートをサウスが演奏したとしているものもあるが、他の記録ではアル・ゴルゴーニとヴィニー・ベルをギタリストとしてクレジットしている。

ビリー・ジョー・ロイヤルは、「Down in the Boondocks」、「I Knew You When」、「Yo-Yo」(のちにジ・オズモンズのカバーでヒット)、「Hush」(のちにディープ・パープルサムバディズ・イメージ・ウィズ・ラッセル・モリスクーラ・シェイカーらのカバーでヒット)といったサウスの歌をレコーディングしている。

1960年代終盤の社会問題に呼応して、サウスの楽曲スタイルは根本的に変化を見せた。最も如実に表れているのが、1968年に出した辛辣でナンセンス味のない「孤独の影(Games People Play)」であり(エリック・バーンの同名タイトルの本[3]に触発されたとも言われる)、大西洋の両側でヒットした。みずみずしいストリングスの音色、オルガン、ブラスを伴奏として、この作品はグラミー賞の最優秀コンテンポラリー楽曲賞と最優秀楽曲賞とを受賞した。サウスは更に、「Birds of a Feather」(もともとは「Bubbled Under」の題で1968年2月10-17日付で106位、ザ・レイダースのカバーで1971年10月23-30日付でHot 100の23位まで上昇)や、自己省察的な2つの曲、すなわち、基本に返る「Don't It Make You Want to Go Home」(8か月後にブルック・ベントン・ウィズ・ザ・ディキシー・フライヤーズによってカバー)と、社会を挑発する「Walk a Mile in My Shoes」(ラスベガス時代のエルヴィス・プレスリーブライアン・フェリーコールドカットらによりカバー)といったヒット曲を続けて出した。

ジョー・サウスの作品で最も商業的に成功したものは、1971年のカントリー/ポップ部門で大ヒットとなったリン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」である。この歌は世界の16の国でヒット曲となり、アンダーソンはヴォーカル部門でグラミー賞を受賞し、サウスは最優秀カントリーソング部門と最優秀歌曲賞部門のふたつでグラミー賞にノミネートされることとなった。サウスはアンダーソンに、「How Can I Unlove You」(ビルボードチャートのカントリー部門1位)や「Fool Me」(同3位)といったさらに多くのヒット曲を書いた。フレディ・ウェラージニー・C.ライリーペニー・デハーヴェンといった歌手も、サウスの歌でビルボードカントリーチャートのヒット曲を放った。更に、サウスの最も有名な歌をカバーしたものが大半ではあるものの、サウスが書いた歌をレコーディングした歌手には、ジョニー・キャッシュグレン・キャンベルロレッタ・リンキャロル・バーネットアンディ・ウィリアムスキティ・ウェルズドッティ・ウェストジム・ネイバースリズ・アンダーソンジョージア・サテライツk.d.ラングらがいる。

私生活

編集

1971年に兄弟のトミーが自殺したことにより、サウスはうつ病になっている[4]。トミー・サウスはジョーのバックバンドのドラマーであり、ライブ演奏のときだけでなく、サウスがビリー・ジョー・ロイヤル、サンディ・ポージーフレンド&ラヴァーといった他のアーチストをプロデュースする時のレコーディングにも参加していた。

栄誉

編集

サウスは1979年にナシュビル・ソングライターの殿堂 (en:Nashville Songwriters Hall of Fame)に迎え入れられ、1981年にはジョージア州音楽の殿堂 (en:Georgia Music Hall of Fame)の一員となった。[5]

1988年には、オランダのDJのヤン・ドンカース (nl)がVPROラジオ (nl:VPRO)の番組でサウスにインタビューした。このラジオ番組[6]ではサウスの新曲も4曲公開されたが、新しいレコードは発売にならなかった。

2003年9月13日に、サウスはジョージア州音楽の殿堂の歓迎式典でバディ・ブイJ.R.コブチップス・モーマンらと共に演奏した。

サウスの最後のレコーディングとなった「Oprah Cried」は2009年に行われ、『So the Seeds are Growing』と『A Look Inside』が一枚になって再リリースされたCDのボーナストラックとして収録された。

死去

編集

サウスは2012年9月5日にジョージア州ビュフォードの自宅で心不全により死去した。72歳であった。[7]

ディスコグラフィ

編集

アルバム

編集
アルバムタイトル チャート順位 レーベル
US USカントリー CAN
1969 Introspect 117 Capitol
Games People Play
1970 Don't It Make You Want to Go Home? 60 39 36
Greatest Hits 125 88
1971 Joe South 207
Joe South Story MGM
So the Seeds Are Growing Capitol
1972 A Look Inside
1975 Midnight Rainbows Island
1976 You're the Reason Gusto
1990 The Best of Joe South Rhino
1999 Retrospect: The Best of Joe South Koch
2001 Anthology: A Mirror of His Mind Raven
2002 Classic Masters Capitol

シングル

編集
シングルタイトル チャート順位 アルバムタイトル
US
[8]
USカントリー US AC CAN CANカントリー CAN AC
1958 "The Purple People Eater Meets the Witch Doctor" 47 シングルのみ
1961 "You're the Reason" 87 16
1969 "Games People Play" 12 7 Introspect, Games People Play
"Birds of a Feather" 96 Introspect
"Leaning on You" 104 69 シングルのみ
"Don't It Make You Want to Go Home" (with The Believers) 41 27 42 11 18 Don't It Make You Want to Go Home?
1970 "Walk a Mile in My Shoes" (with The Believers) 12 56 3 10 6 2
"Children" 51 33 31
"Why Does a Man Do What He Has to Do" 118 47 Joe South
1971 "Fool Me" 78

脚注

編集
  1. ^ Joe South ~ The Official Site”. 2013年10月26日閲覧。
  2. ^ Gilliland, John (1969). "Show 52 - The Soul Reformation: Phase three, soul music at the summit. [Part 8] : UNT Digital Library" (audio). Pop Chronicles. University of North Texas Libraries.
  3. ^ 日本では「人生ゲーム入門」の邦題で知られる。
  4. ^ Wall, Jeff (March–April 2007). “Joe South: Down in the Boondocks”. American Songwriter Magazine, the craft of music, heritage series. September 15, 2011閲覧。
  5. ^ Georgia Music Hall of Fame Inductees | Inductee Years Archive | 1981 Inductees”. Georgiamusicmag.com. 2012年9月7日閲覧。
  6. ^ De Avonden -> Artikelen -> Jan Donkers' archief: Joe South (1988)”. Vpro.nl. 2012年4月25日閲覧。
  7. ^ Joe South, who wrote Games People Play, dies aged 72”. 7 September 2012閲覧。
  8. ^ Whitburn, Joel (2011). Top Pop Singles 1955–2010. Record Research, Inc. p. 837. ISBN 0-89820-188-8 

外部リンク

編集