ジョーゼフ・ウィリアム・マーティン・ジュニア
ジョーゼフ・ウィリアム・マーティン・ジュニア(Joseph William Martin, Jr., 1884年11月3日 - 1968年3月6日)は、アメリカ合衆国の政治家。マサチューセッツ州ノース・アットルボロー選出の共和党所属アメリカ合衆国議会議員である。第49・51代アメリカ合衆国下院議長を務めた。
ジョーゼフ・ウィリアム・マーティン・ジュニア Joseph William Martin, Jr. | |
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生年月日 | 1884年11月3日 |
出生地 |
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ノース・アットルボロー |
没年月日 | 1968年3月6日(83歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 フロリダ州ハリウッド |
所属政党 | 共和党 |
在任期間 |
1947年1月3日 - 1949年1月3日 1953年1月3日 - 1955年1月3日 |
大統領 |
ハリー・S・トルーマン ドワイト・D・アイゼンハワー |
在任期間 |
1939年1月3日 - 1947年1月3日 1949年1月3日 - 1953年1月3日 1955年1月3日 - 1959年1月3日 |
大統領 |
フランクリン・ルーズベルト ハリー・S・トルーマン ドワイト・D・アイゼンハワー |
選挙区 | マサチューセッツ州 |
在任期間 | 1925年3月4日 - 1967年1月3日 |
経歴
編集1884年11月3日にマサチューセッツ州ノース・アットルボローに誕生する。マサチューセッツ州下院(1912年 - 1914年)、マサチューセッツ州上院(1914年 - 1917年)、連邦議会下院(1925年 - 1967年)に勤めた。1940年から1942年までは共和党全国委員会委員長であった。ニュー・ディールの間、彼はフランクリン・D・ローズヴェルトの諸政策に対する反対派の急先鋒として脚光を浴び、外交問題に関するローズヴェルトの国際主義的な見解に反対した。しかし彼は、若干のニュー・ディール的措置(最低賃金制度の確立など)については支持した。1952年以後、マーティンは共和党穏健派に加わり、学校建設に対する政府補助を支持し、ドワイト・D・アイゼンハワーの国際主義的な展望を(対外援助の支持を通じて)支持し、またリンドン・B・ジョンソンの1964年経済機会法を支持した。
1960年、マグロウ=ヒルはジョー・マーティンからロバート・ドノヴァンへの口述という形式で、『我が最初の政治家人生50年 (My First Fifty Years in Politics) 』を上梓した。
マーティンは、マサチューセッツ州ノース・アットルボローで新聞「イヴニング・クロニクル (The Evening Chronicle) 」を長年発行してきた。彼の死の直後、同紙は近隣の競合他紙と統合し、「サン・クロニクル (The Sun Chronicle) 」紙となった。
リーダーシップ
編集1947年から1949年及び1953年から1955年の2期に渡って下院議長を務めた。これらの期間はいずれも、共和党が短いながらも下院で多数を占めた時期であり、マーティンの在任前後にはサム・レイバーンがその任にあった。
1958年の選挙で共和党が劇的な敗北を喫した[1]後、マーティンはインディアナのチャールズ・A・ハレックによって、院内総務の座を追われた。この敗北にもかかわらず、マーティンは下院の後部席議員として残る道を選んだ。8年後の1966年、共和党予備選で46歳年下のマーガレット・ヘックラーにその座を追われた。
失職後
編集遺産
編集今日、マーティンは故郷マサチューセッツ州ノース・アットルボローにある6つの地元小学校のうちの1校の名において記憶されている。ジョーゼフ・W・マーティン・ジュニア小学校には、彼の名前が付いている。ジョーゼフ・L・マーティン法学・社会学研究所は、彼に関する記録を収蔵する。同研究所は、マサチューセッツ州ノース・イーストンのストーンヒル・カレッジにある。
註
編集外部リンク
編集- United States Congress. "ジョーゼフ・ウィリアム・マーティン・ジュニア (id: M000191)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
議会 | ||
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先代 ローレンス・カーティス |
アメリカ合衆国下院議長 1947年1月3日 ‐ 1949年1月3日 |
次代 ローレンス・カーティス |
先代 ローレンス・カーティス |
アメリカ合衆国下院議長 1953年1月3日 ‐ 1955年1月3日 |
次代 ローレンス・カーティス |
先代 ロバート・M・リーチ |
マサチューセッツ州第15選挙区選出下院議員 1933年 ‐ 1963年 |
次代 チャールズ・L・ギフォード |
先代 リチャード・B・ウィグルスワース |
マサチューセッツ州第14選挙区選出下院議員 1933年 ‐ 1963年 |
次代 選挙区廃止 |
先代 ローレンス・カーティス |
マサチューセッツ州第10選挙区選出下院議員 1963年1月3日 ‐ 1967年1月3日 |
次代 マーガレット・M・ヘックラー |
党職 | ||
先代 バートランド・H・スネル |
下院少数党院内総務 第10代:1939年 - 1947年1月3日 |
次代 サム・レイバーン |
先代 サム・レイバーン |
下院少数党院内総務 第12代:1949年1月3日 - 1953年1月3日 |
次代 サム・レイバーン |
先代 サム・レイバーン |
下院少数党院内総務 第14代:1955年1月3日 - 1959年1月 |
次代 チャールズ・A・ハレック |
先代 ジョン・ハミルトン |
共和党全国委員会委員長 1940年 - 1942年 |
次代 ベイリー・ウォルシュ |