ジョヴァンニ・ソトコルノーラ

ジョヴァンニ・ソトコルノーラ(Giovanni Sottocornola、1855年8月1日 - 1917年2月12日)は、イタリアの画家である。ミラノで働き、風俗画や肖像画を描いた。

ジョヴァンニ・ソトコルノーラ
Giovanni Sottocornola
自画像
生誕 (1855-08-01) 1855年8月1日
イタリア、ミラノ
死没 1917年2月12日(1917-02-12)(61歳没)
イタリア、ミラノ
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ジョヴァンニ・ソトコルノーラ作「桃を売る少女」(1888)

略歴

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ミラノで労働者階級の息子に生まれた。父親の突然の亡くなったので、少年時代からボーイや会計係として、大家族のために働かねばならなかった。19歳の1875年にミラノのブレラ美術アカデミーに入学し、1880年までラファエーレ・カスネディジュゼッペ・ベルティーニに学び、同時期の学生にはガエターノ・プレヴィアーティ(1852– 920)や、エミリオ・ロンゴーニ(Emilio Longoni: 1859-1932)、フランチェスコ・フィリピーニ(1853-1895)、ジュゼッペ・メンテッシ(Giuseppe Mentessi: 1857-1931)、エウジェニオ・ジニョウス(1850-1906)、ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)らがいて、頻繁に集まってすごした。

1882年にブレラ美術アカデミーの定期展に初めて出展し、この時期は写実的な肖像画や静物画の制作していた[1]。1883年に結婚し、4人の子供が生まれたが2人は幼いうちに亡くなった。残った2人の娘たちの絵をソトコルノーラは何度か描いた。

1880年代に、ブレラ美術アカデミーや美術協会(Società per le Belle Arti)の展覧会やヴェネツィアの展覧会に出展した[2][3].。1890年代になって 労働争議が盛んであった風潮の中で社会的なテーマの作品も描いたが1900年までに、家族や肖像画を描くスタイルに戻った。

1900年からミラノで私塾を開き、生徒にはカルロ・ピエトロ・コロンボ(Carlo Pietro Colombo), ルイージ・ボルゴ・マイネリ(Luigi Borgo Maineri),ウーゴ・ベルナスコーニ(Ugo Bernasconi)らがいた[4]。修復家としても働き、ミラノのマッジョーレ修道院教会(Chiesa di San Maurizio al Monastero Maggiore)と聖パドヴァのアントニオ教会(Santuario di Sant'Antonio di Padova)のベルナルディーノ・ルイーニのフレスコ画を修復した。

1917年にミラノで亡くなった。

作品

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脚注

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  1. ^ Esposizione 1882. Catalogo ufficiale, A. Lombardi, Milano, 1882, p. 11-28-33
  2. ^ Reale Accademia di Belle Arti di Milano. Esposizione 1885. Catalogo ufficiale, Manini, Milano, 1885, p. 10
  3. ^ Esposizione nazionale artistica Venezia 1887. Catalogo ufficiale, Dell'Emporio, Venezia, 1887, n. 18, p. 36
  4. ^ "Dal salotto agli ateliers: produzione artistica femminile a Milano 1880-1920", Aurora Scotti, Sapi, Milano, 1989, p. 97

参考文献

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  • Archivi del Divisionismo, Fortunato Bellonzi, Teresa Fiori, Officina Edizioni, Roma, 1968
  • Giovanni Sottocornola. Dal realismo sociale al quotidiano familiare, Giovanna Ginex, Artes, Milano, 1985
  • Giovanni Sottocornola. Immagini da una collezione, catalogo della mostra, Erwin Silbernagl, Antea, Milano, 1991
  • Da Canova a Boccioni. Le collezioni della Fondazione Cariplo e di Intesa Sanpaolo, Elena Lissoni, Skira, Milano, 2011, pp. 232-233