ジョン・リチャードソン (博物学者)

スコットランド人の外科医、自然誌家、極地探検家(1787年-1865年)

サージョン・リチャードソン(Sir John Richardson、1787年11月5日1865年6月5日)は、スコットランド博物学者海軍軍医北極探検家である。北部アメリカの探検旅行が有名な他、小動物リチャードソンジリスの発見者としても知られる。

サー・ジョン・リチャードソン

生涯

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スコットランド南西部のダンフリーズに生まれた。エディンバラ大学で医学を学び、海軍の軍医となった。ジョン・フランクリンの1819年から1822年にかけてカナダ北西準州のコッパーマイン川英語版の探検に参加した一人で、探検後、地理学、植物学、魚類学分野の公式報告書を書いた。1825年から1827年に再びカナダを訪れ、北極海横断探検を行った。この探検の成果は、ウィリアム・ジャクソン・フッカーの『北部アメリカの植物誌』(Flora Boreali-Americana :1833年–1840年)とリチャードソンらの『北部アメリカの動植物誌』(Fauna Boreali-Americana :1829年–1837年)として発表された。

1842年にイギリス科学振興協会英語版において、1841年10月の、軍艦「ロイヤル・ジョージ英語版」のサルベージ作業中に発生した潜水病と、潜水士の治療について報告している。

1846年にナイト爵を授けられ[1]、1850年にバス勲章コンパニオンを受勲[2]。1845年に出発しカナダ極北で連絡を絶ったフランクリンの探検隊を1848年からジョン・レイとともに捜索するが、発見することはできなかった。この経緯は1851年に"Arctic Searching Expedition"として発表された。

上記以外にも、何度か北極航海に参加し、特に魚類学や北極航海の多くの博物学の著書がある。1825年に王立協会の会員に選ばれ、1856年に王立協会からロイヤル・メダルを受賞した[3]

名前について

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リチャードソンは、リチャードの息子を意味する[4]

著書

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  • Fauna Boreali-Americana
  • Narrative of a second expedition to the shores of the polar sea, in the years 1825, 1826, and 1827. Including an account of the progress of a detachment to the eastward
  • Narrative of a second expedition to the shores of the Polar Sea, in the years 1825, 1826, and 1827
  • Ichthyology of the voyage of H.M.S. Erebus and Terror under the command of Captain Sir James Clark Ross.
  • Arctic ordeal : the journal of John Richardson, surgeon-naturalist with Franklin, 1820-1822
  • Zoology of the northern parts of British America
  • Vertebrals, including fossil mammals
  • The zoology of Captain Beechey's voyage
  • The birds
  • The Polar regions

出典

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  1. ^ "No. 20571". The London Gazette (英語). 13 February 1846. p. 528. 2014年9月5日閲覧
  2. ^ "No. 21127". The London Gazette (英語). 16 August 1850. pp. 2242–2243. 2014年9月5日閲覧
  3. ^ "Richardson; Sir; John (1787 - 1865)". Record (英語). The Royal Society. 2014年9月5日閲覧
  4. ^ dic_owner. “Richard”. 世界人名辞典. 2020年10月18日閲覧。

外部リンク

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