ジョン・プリッチャード
サー・ジョン・マイケル・プリッチャード(Sir John Michael Pritchard CBE, 1921年2月5日 - 1989年12月5日[1])は、イギリスの指揮者。1962年大英帝国勲章コマンダー(CBE)、1975年シェークスピア賞(ハンブルク)受賞、1983年ナイトの勲位に叙される。
ジョン・プリッチャード | |
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生誕 | 1921年2月5日 |
出身地 | イギリス |
死没 | 1989年12月5日(68歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
略歴
編集幼少時から、ロンドン交響楽団(LSO)のヴァイオリニストだった父親から音楽の手ほどきを受け、イタリアに留学して指揮法、ヴィオラ、ピアノ等を習得した。
1947年にグラインドボーン音楽祭でフリッツ・ブッシュのアシスタントを務め、1949年にブッシュの代役としてモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を指揮してデビューを飾り、グラインドボーン音楽祭の常連指揮者となった。1951年と1952年のシーズンにウィーン国立歌劇場で指揮をしたほか、1953年にはピッツバーグ交響楽団を指揮してアメリカ・デビューも果たしている。
1957年から1963年までは、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を歴任。1964年からグラインドボーン音楽祭の音楽顧問を務め、1969年から1978年まで音楽監督の任にあった。1962年から1967年まではロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者も兼任し、このオーケストラをグラインドボーン音楽祭に度々出演させている。
1970年には、来日直前に急逝したジョン・バルビローリに代わって東京でフィルハーモニア管弦楽団を指揮した。
1978年からはケルン歌劇場の首席指揮者に転身し、1981年からブリュッセルのベルギー王立歌劇場(モネ劇場)の音楽監督も務め、オペラ指揮者として国際的な名声を確立した。1981年からBBC交響楽団の音楽監督になり、1986年からはサンフランシスコ歌劇場の音楽監督も兼任したが、1989年に急逝した。ロサンゼルス・タイムスの記事によると「サンフランシスコ近郊のデイリーシティの病院で死去」「サンフランシスコ歌劇場のスポークスマンはプリッチャードが癌で68歳であったと発表した」とある[2]。一方、ニューヨーク・タイムスの記事によると、肺癌でカリフォルニア州デイリーシティのシートンメディカルセンターで死去とある [1]。彼は同性愛者であることを公言しており、没後財産の大部分を男性パートナーに遺贈した。
脚注
編集参考文献
編集- Conway, Helen (1994). Sir John Pritchard: His Life in Music. London: Andre Deutsch Ltd. ISBN 0233988459
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