ジョン・フォスター=スケッフィントン (第10代マッセリーン子爵)

第10代マッセリーン子爵および第3代フェラード子爵ジョン・フォスター=スケッフィントン英語: John Foster-Skeffington, 10th Viscount Massereene and 3rd Viscount Ferrard KP、出生名ジョン・フォスターJohn Foster)、1812年11月30日1863年4月28日)は、アイルランド貴族

生涯

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第2代フェラード子爵トマス・ヘンリー・スケッフィントン英語版第9代マッセリーン女子爵ハリエット・スケッフィントンの息子として、1812年11月30日にダブリンで生まれた[1]イートン・カレッジで教育を受けた後、1830年11月25日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[1]

1831年1月2日に母が死去すると、マッセリーン子爵位を継承した[2]。1843年1月18日に父が死去すると、フェラード子爵位を継承[2]、同年に「スケッフィントン」を姓に加えた[1]

マッセリーン子爵の領地はアントリム県にあり、ジャガイモ飢饉で影響を受けた[3]。例えば、子爵は1845年10月に未収穫のジャガイモを36ポンド毎エーカーという高価で売ろうとしたが、買い手は領地がジャガイモ疫病で大損害を受けたことを知ると、購入の合意を取り消した[3]

1851年7月3日、聖パトリック勲章を授与された[4]

1863年4月28日にアントリム城英語版で死去[1]、息子クロットワーシー・ジョン・エア英語版が爵位を継承した[5]

著作

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  • O'Sullivan, the Bandit Chief: a romantic poem(1844年、ダブリン[1]
  • Church Melodies(1847年、ロンドン[1]
  • A Metrical Version of the Psalms(1865年、ダブリン[1]
  • The Love of God: a poem(1868年、ロンドン[1]

家族

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1835年8月1日、オリヴィア・ディーン・グレイディ(Olivia Deane Grady、1807年ごろ[6] – 1874年5月10日、ヘンリー・ディーン・グレイディの娘)と結婚、4男4女をもうけた[5][7]

  • クロットワーシー・ジョン・エア英語版(1842年10月9日 – 1905年6月26日) - 第11代マッセリーン子爵、第4代フェラード子爵[5]
  • ハンガーフォード・ヘンリー(1845年7月25日 – 1870年12月18日) - 1868年11月30日、ルイーザ・マスケリー・ディーン・グレイディ(Louisa Muskerry Deane Grady、ロバート・ディーン・グレイディの娘)と結婚、子供なし[5]
  • シドニー・ウィリアム(1849年5月30日 – 1876年2月6日) - 1872年10月3日、クレメンティナ・イザベラ・マーガレット・デニストン(Clementina Isabella Margaret Dennistoun、アーチボルド・キャンベル・デニストンの娘)と結婚、子供あり
  • レジナルド・ジョージ(1850年10月5日 – 1873年2月21日[7]
  • ドーカス・ルイーザ(Dorcas Louisa、1876年9月27日没) - 1869年7月8日、パーシー・フィッツジェラルド(Percy FitzGerald、1829年ごろ – 1925年11月24日、トマス・フィッツジェラルドの息子)と結婚[7]
  • オリヴィア・マーガレッタ・メアリー(Olivia Margaretta Mary、1914年10月13日没) - 生涯未婚[7]
  • フローレンス・セシリア(Florence Cecilia、1906年1月4日没) - 生涯未婚[7]
  • ブランシュ・アメリア(Blanche Amelia) - 1870年1月6日、サー・ジョン・フォスター・ジョージ・ロス(Sir John Foster George Ross)と結婚[7]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h Alger, John Goldworth (1897). "Skeffington, Clotworthy" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 52. London: Smith, Elder & Co. pp. 320–321.
  2. ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 305.
  3. ^ a b The Gardeners' Chronicle and Agricultrual Gazette (英語). London: Bradbury and Evans. 18 October 1845. p. 704.
  4. ^ "No. 6089". The Edinburgh Gazette (英語). 11 July 1851. p. 542.
  5. ^ a b c d Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1367.
  6. ^ Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 271.
  7. ^ a b c d e f Pine, Leslie G., ed. (1956). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (101st ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1465.
アイルランドの爵位
先代
ハリエット・スケッフィントン
マッセリーン子爵
1831年 – 1863年
次代
クロットワーシー・スケッフィントン英語版
先代
トマス・ヘンリー・スケッフィントン英語版
フェラード子爵
1843年 – 1863年