ジョン・フィッツパトリック (初代カースルタウン男爵)
初代カースルタウン男爵ジョン・ウィルソン・フィッツパトリック(英語: John Wilson FitzPatrick, 1st Baron Castletown PC (Ire)、出生名ジョン・ウィルソン(John Wilson)、1811年9月23日 – 1883年1月22日)は、イギリスの政治家、貴族。自由党に所属し、庶民院議員(在任:1837年 – 1841年、1847年 – 1852年、1865年 – 1869年)を務めた[1]。
生涯
編集第2代アッパー・オソリー伯爵ジョン・フィッツパトリックの庶子として、1811年9月23日にロンドンで生まれた[1][2]。出生名はジョン・ウィルソンであり、1842年2月12日に女王の認可状を得て姓をフィッツパトリックに変えた[1]。1818年2月1日に父が嫡子のないまま死去すると、クイーンズ・カウンティ(現リーシュ県)におけるグランツトン・マナー(Grantstown Manor)とリスダフ(Lisduff)、ノーサンプトンシャーにおけるグラフトン・アンダーウッドの領地を継承した[1]。イートン・カレッジで教育を受けた[1]。
1826年5月20日、エンサイン(歩兵少尉)としての辞令を購入して、第85歩兵連隊に配属された[3]。1827年6月26日に中尉としての辞令を購入したが、所属連隊なしとなった[4]。一時は半給になったが、1829年8月18日に半給状態が解除された[5]。
1836年にクイーンズ・カウンティ県長官を務めた後、1837年から1841年まで、1847年から1852年まで、1865年から1869年までの3度にわたりクイーンズ・カウンティ選挙区の代表として庶民院議員を務めた[1]。議会では自由党に所属した[1]。
1848年1月28日にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。1855年11月17日にクイーンズ・カウンティ統監に任命され、1883年に死去するまで務めた[6]。1869年12月10日、連合王国貴族であるクイーンズ・カウンティにおけるアッパー・オソリーのカースルタウン男爵に叙された[1][7]。
1883年1月22日にメイフェアのハートフォード・ストリート32号(32 Hertford Street)で死去、25日にノーサンプトンシャーのグラフトン・アンダーウッドで埋葬された[1]。息子バーナード・エドワード・バーナビーが爵位を継承した[1]。
1883年時点の所領はサセックスにおける633エーカーとクイーンズ・カウンティにおける22,510エーカーであり、合計で年収15,758ポンド相当だった[1]。
家族
編集1830年5月5日、オーガスタ・メアリー・ダグラス(Augusta Mary Douglas、1810年ごろ – 1899年6月3日、アーチボルド・ダグラスの娘)と結婚[1]、1男6女をもうけた[2]。
- ガートルード(Gertrude、1912年1月25日没) - 1862年9月9日、エドワード・ランダル・スケッフィントン・スミス(Edward Randal Skeffington Smyth、1897年12月25日没)と結婚、子供あり[2]
- オーガスタ・フレデリカ・アン(Augusta Frederica Anne、1903年2月24日没) - 1851年1月30日、ヴィジー・ドーソン閣下(Hon. Vesey Dawson、1854年11月5日没、第2代クレモーン男爵リチャード・ドーソンの息子)と結婚、子供あり。1856年10月9日、チャールズ・マグニアック(1891年11月23日没)と再婚、子供あり[2]
- フローレンス・ヴァージニア・フォックス(Florence Virginia Fox、1912年3月5日没) - 1858年7月29日、サー・ジョージ・ウェントワース・ヒギンソンと結婚、子供あり[2]
- セシリア・エミリー・エマ(Cecilia Emily Emma、1918年11月3日没) - 1868年6月16日、ルイス・ウィンフィールド閣下(1891年11月12日没、第6代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールドの息子)と結婚、子供なし[8]
- イーディス・スーザン・エスター(Edith Susan Esther、1906年12月1日没) - 1862年11月1日、サー・チャールズ・マレー(1895年6月3日没)と結婚、子供あり[2]
- オリヴィア・ダグラス・エイミー(Olivia Douglas Amy、1895年5月22日没) - 1865年3月27日、第9代準男爵サー・ジョン・セブライトと結婚、子供あり[2]
- バーナード・エドワード・バーナビー(1848年7月29日 – 1937年5月29日) - 第2代カースルタウン男爵[9]
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 101–102.
- ^ a b c d e f g Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 409.
- ^ "No. 18249". The London Gazette (英語). 20 May 1826. p. 1190.
- ^ "No. 18375". The London Gazette (英語). 3 July 1827. p. 1428.
- ^ "No. 3780". The Edinburgh Gazette (英語). 25 August 1829. p. 237.
- ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831-". Institute of Historical Research (英語). 2018年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月13日閲覧。
- ^ "No. 23559". The London Gazette (英語). 26 November 1869. p. 6455.
- ^ Swinhoe, E. M., ed. (1937). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council and Knightage (英語) (95th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 498.
- ^ Rouse, Paul (October 2009). "Fitzpatrick, Sir Bernard Edward Barnaby". In McGuire, James; Quinn, James (eds.). Dictionary of Irish Biography (英語). United Kingdom: Cambridge University Press. doi:10.3318/dib.003233.v1。
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr John Fitzpatrick
- "ジョン・フィッツパトリックの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 サー・チャールズ・クート準男爵 トマス・ヴィジー閣下 |
庶民院議員(クイーンズ・カウンティ選挙区選出) 1837年 – 1841年 同職:サー・チャールズ・クート準男爵 |
次代 サー・チャールズ・クート準男爵 トマス・ヴィジー閣下 |
先代 サー・チャールズ・クート準男爵 トマス・ヴィジー閣下 |
庶民院議員(クイーンズ・カウンティ選挙区選出) 1847年 – 1852年 同職:トマス・ヴィジー閣下 |
次代 マイケル・ダン サー・チャールズ・クート準男爵 |
先代 マイケル・ダン フランシス・プランケット・ダン |
庶民院議員(クイーンズ・カウンティ選挙区選出) 1865年 – 1869年 同職:フランシス・プランケット・ダン 1865年 – 1868年 ケネルム・トマス・ディグビー 1868年 – 1869年 |
次代 エドワード・ディース ケネルム・トマス・ディグビー |
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