ジョン・バリー (作曲家)

イングランドの作曲家

ジョン・バリー(John Barry、ジョン・バリー・プレンダーガスト OBE、John Barry Prendergast OBE、1933年11月3日 - 2011年1月30日[1])は、イギリスヨーク出身の作曲家。多くの映画音楽の作曲を手がけた。中でも「007/ジェームズ・ボンド」シリーズの曲は広く知られている。ゴールデングローブ賞アカデミー賞を5回受賞している。

ジョン・バリー
John Barry
(2006年)
基本情報
出生名 John Barry Prendergast
生誕 (1933-11-03) 1933年11月3日
イングランドの旗 イングランドヨークシャー
死没 (2011-01-30) 2011年1月30日(77歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル 映画音楽
職業 作曲家指揮者
活動期間 1959 - 2004

プロフィール

編集

1933年イギリス生まれ。父親のジャック・バリーは映画館や劇場を経営していたため、ジョンも幼い頃から映画に親しむ。一方、ピアニストの母親の影響で1941年9歳からピアノを弾き始め、後にトランペットも習い始めた。10歳でヨーク寺院フランシス・ジャクソン博士に音楽教育を受け、ロンドンの音楽学校で作曲と楽器法を学んだが、1年経たずして中途退学となった。その後3年程、地方のジャズ・バンドで演奏していたが、兵役に応じ軍隊のバンドで演奏活動を続け、その間も和声、作曲、編曲をスタン・ケントンに通信教育で学ぶ。除隊後は軍の友人達とR&Bのバンド「ジョン・バリー・セブン」を結成。

 
ジョン・バリーとポール・ベイトマン(Paul Bateman)
2006年、ロイヤル・アルバート・ホールにて

1957年EMIレコードと契約を結ぶ。その後、クリフ・リチャードや多くのアーティストのプロデュースやアレンジを手がけ、テレビの音楽を担当した後、アダム・フェイスピーター・セラーズの映画のスコアを書き、1959年に『狂っちゃいねえぜ(Beat Girl)』で本格的に映画音楽に進出し、007ジェームズ・ボンドのテーマの編曲で名声を博した(このテーマの作曲者はモンティ・ノーマンである)。マット・モンローで有名になった「ロシアより愛をこめて」はライオネル・バート作曲、ジョン・バリーが映画音楽担当、「野生のエルザ」はジョン・バリー作曲である。また1972年の「フォロー・ミー」は、作曲ジョン・バリー、評価された歌はテルマ・キーティングで、日本でもスマッシュ・ヒットしている。

1970年代途中まで英国で過ごす。その後少しの間スペインで過ごし(税金問題のため)、その後、映画の仕事のため渡米、ニューヨーク近郊のオイスターベイで暮らす。

1988年肺炎による食道破裂を患う。

2011年1月30日、心臓発作のため[1]ニューヨークで死去。77歳没[2]

私生活

編集

1953年バーバラ・ピカードと結婚、一児をもうけたが1963年離婚。1965年女優のジェーン・バーキンと結婚。一女ケイト・バリー写真家)が生まれたが、1968年に離婚。1969年ジェーン・シドニーと結婚、1971年離婚。1978年1月、現在の妻ローリー・バリーと結婚。

映画作品

編集

その他の活動

編集
  • The Americans
  • The Beyondness of Things
  • Eternal Echoes

John Barry was inducted into the Songwriters Hall of Fame in 1998

受賞歴

編集

アカデミー賞

編集
  • 1966年『野生のエルザ』(Born Free)
  • 1968年『冬のライオン』(The Lion in Winter)
  • 1985年『愛と哀しみの果て』(Out of Africa)
  • 1990年『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(Dances with Wolves)

グラミー賞

編集
  • 1970年『真夜中のカーボーイ』(Midnight Cowboy)

ゴールデングローブ賞

編集
  • 1985年『愛と哀しみの果て』(Out of Africa)

関連項目

編集

脚注

編集
  1. ^ a b ジョン・バリー氏死去 英の映画音楽作曲家 - 47NEWS(よんななニュース)
  2. ^ ジョン・バリー氏=英作曲家 : おくやみ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
  3. ^ https://www.independent.co.uk/arts.../obituary-lionel-bart-1085282.h

外部リンク

編集