ジョン・シューメイト
ジョン・H・シューメイト(John H. Shumate、1952年4月6日 - 2025年2月3日)は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、指導者。身長206cm、体重106kg。ポジションはパワーフォワード。
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引退 | |
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ポジション | PF |
基本情報 | |
国籍 |
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生年月日 | 1952年4月6日 |
没年月日 | 2025年2月3日(72歳没) |
出身地 | サウスカロライナ州グリーンビル |
身長(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) |
体重(現役時) | 106kg (234 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | ノートルダム大学 |
ドラフト | 1974年 4位 |
選手経歴 | |
1975-1976 1976-1977 1977-1979 1979-1980 1980 1980 |
フェニックス・サンズ バッファロー・ブレーブス デトロイト・ピストンズ ヒューストン・ロケッツ サンアントニオ・スパーズ シアトル・スーパーソニックス |
指導者経歴 | |
1988-1995 2003 |
南メソジスト大学 フェニックス・マーキュリー |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
経歴
編集サウスカロライナ州グリーンビル出身のシューメイトはノートルダム大学に進学し、2年間で平均22.6得点11.6リバウンドを記録した。4年次にはチームをNCAAトーナメントベスト16に導き、オールアメリカ1stチームに選ばれた。ノートルダム大学はこの年にUCLAの公式戦88連勝を止める大金星をあげている。
1974年、シューメイトはNBAドラフト全体4位でフェニックス・サンズに指名されたが、肺血栓塞栓症の治療のため1975年からチームに参加した。1年目はサンズとバッファロー・ブレーブスでプレーし、リーグ1位タイのフィールドゴール成功率.561を記録してオールルーキー1stチームに選ばれた。翌1976-77シーズンにキャリアハイとなる平均15.1得点9.5リバウンドを記録した。その後はデトロイト・ピストンズ、ヒューストン・ロケッツ、サンアントニオ・スパーズ、シアトル・スーパーソニックスを渡り歩き、1980年に現役を引退した。NBAでの成績は、318試合の出場で通算3,920得点2,388リバウンド(平均12.3得点7.5リバウンド)、フィールドゴール成功率.516であった。
引退後、シューメイトは1988年から1995年まで南メソジスト大学のヘッドコーチを務め、78勝118敗(勝率.398)の戦績を残した。1993年にはチームをNCAAトーナメントに導いた。2003年にWNBAのフェニックス・マーキュリーのヘッドコーチに就任したが、リーグ最下位となる8勝26敗を喫し、1シーズンで解任された。その他、トロント・ラプターズやサンズでアシスタントコーチとして働いた。
2025年2月3日の朝に死去。72歳没[1]。
脚注
編集- ^ DRAKE, TYLER (2025年2月3日). “Former Suns forward, John Shumate dead at 72” (英語). Arizona Sports. 2025年2月4日閲覧。