ジョン・クリフォード (第9代クリフォード男爵)
第9代クリフォード男爵ジョン・クリフォード(英語: John Clifford, 9th Baron de Clifford、1435年4月8日 - 1461年3月28日)は、イングランドの貴族で、薔薇戦争中のランカスター軍の指揮官であった。一時期ヘンリー6世の王妃マーガレット・オブ・アンジューの右腕として活躍した。
ジョン・クリフォード John Clifford | |
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第9代クリフォード男爵 | |
『クリフォード卿によるラトランドの殺害』(チャールズ・ロバート・レスリー画、1815年) | |
出生 |
1435年4月8日 |
死去 |
1461年3月28日(25歳没) イングランド王国、フェリーブリッジ |
配偶者 | マーガレット・ブロンフレト |
子女 |
ヘンリー リチャード エリザベス |
家名 | クリフォード家 |
父親 | 第8代クリフォード男爵トマス・クリフォード |
母親 | ジョーン・ダクレ |
生涯
編集第8代クリフォード男爵トマス・クリフォード(英語: Thomas Clifford, 8th Baron de Clifford)の息子であったジョンは、1455年の第1次セント・オールバーンズの戦いで父親が戦死すると、男爵位を継承した。恐らく「父トマスの仇討ち」という動機に駆られて、ジョン・クリフォードはランカスター軍の最前線にやってきた。1460年のウェイクフィールドの戦いの戦後処理では、ヨーク派の首魁であるヨーク公リチャードの息子ラットランド伯エドムンド(17歳)の処刑を手配した。ヨーク公は戦闘で死亡した。
クリフォードは翌年のフェリブリッジの戦いの最中に、不注意にも鎧の喉当て(gorget)を外していた際、喉を射抜かれて戦死している。このおかげで息子ヘンリーは私権剥奪の目に遭っている(後に回復する)。
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