ジョン・カスト (初代ブラウンロー伯爵)

初代ブラウンロー伯爵ジョン・カスト英語: John Cust, 1st Earl Brownlow GCH FRS FSA1779年8月19日1853年9月15日)は、イギリスの貴族、政治家。トーリー党に属し、庶民院議員(在任:1802年 – 1807年)、リンカンシャー統監英語版(在任:1809年 – 1852年)を務めた[1]

初代ブラウンロー伯爵

生涯

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初代ブラウンロー男爵ブラウンロー・カストと2人目の妻フランシス(Frances、旧姓バンクス(Bankes)、1756年8月6日 – 1847年4月13日、サー・ヘンリー・バンクスの娘)の息子として、1779年8月19日に生まれた[1]。1788年から1793年までイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1797年4月12日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1801年にM.A.の学位を修得した[3][4]。1801年5月7日、ロンドン考古協会フェローに選出された[1]

1798年8月25日、リンカンシャー・ヨーマンリー連隊英語版コルネット英語版(騎兵少尉)に任命された[5]。1803年7月13日、大尉に昇進した[6]。同年9月14日、リンカンシャー副統監に任命された[7]。1805年1月12日、北リンカンシャー民兵連隊(Royal North Lincolnshire Regiment of Militia)の少佐に任命された[8]。1811年、南リンカンシャー民兵隊(South Lincolnshire militia)隊長に任命された[2]

父が1796年と1802年の間に初代リブルスデイル男爵トマス・リスター英語版クリセロー選挙区英語版における影響力(1議席の指名)を購入した結果、1802年1806年1807年の総選挙で無投票で当選した[9]庶民院で演説した記録はなく、アディントン内閣期(1801年 – 1804年)では1804年4月にアイルランド民兵法案の採決で野党に同調、第2次小ピット内閣(1804年 – 1806年)を支持した[2]。1805年5月2日、王立協会フェローに選出された[10]

1807年12月25日に父が死去すると、ブラウンロー男爵位を継承した[1]。爵位継承以降もクリセロー選挙区で1議席の指名を続けた[9]。1809年2月25日から1852年8月20日までリンカンシャー統監英語版を務めた[11][12]。1809年8月29日にリンカンシャー海軍次官英語版に任命され、1853年に死去するまで務めた[13]

1815年に首相リヴァプール伯爵に爵位の昇叙を申請して成功[2]、同年11月17日に連合王国貴族であるブラウンロー伯爵リンカンシャーにおけるアルフォードのアルフォード子爵に叙された[1][14]。叙爵申請では政府への支持と民兵隊への貢献を実績として挙げた[2]

1834年6月10日、オックスフォード大学よりD.C.L.英語版の学位を授与された[1][4]。同年にロイヤル・ゲルフ勲章ナイト・グランド・クロスを授与された[1]。1835年7月6日、ケンブリッジ大学よりLL.D.の学位を授与された[1][3]

1837年奴隷補償法英語版により奴隷所有者への金銭補償が行われ、ブラウンロー伯爵は10,058ポンドの補償金を受け取った[15]

1853年9月15日にベルトン英語版で死去、息子ジョン・ヒューム英語版に先立たれたため孫ジョン・ウィリアム・スペンサー・ブラウンローが爵位を継承した[1]

家族

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1810年7月24日、ソフィア・ヒューム(Sophia Humer、1788年7月31日 – 1814年2月21日、第2代準男爵サー・エイブラハム・ヒューム英語版の娘)と結婚[1]、2男1女をもうけた[16]

1818年9月22日、キャロライン・フラッディアー(Caroline Fludyer、1794年6月5日 – 1824年7月4日、ジョージ・フラッディアー英語版の娘)と再婚[1]、4女をもうけた[16]

  • キャロライン・メアリー(1819年11月25日 – 1898年8月29日) - 生涯未婚[16]
  • アメリア(1821年8月6日 – 1870年8月30日) - 生涯未婚[16]
  • キャサリン・アン(1822年11月18日 – 1885年10月18日) - 1850年8月1日、クランリー子爵アーサー・ジョージ・オンズロー(Arthur George Onslow, Viscount Cranley、1856年8月2日没、第3代オンズロー伯爵アーサー・ジョージ・オンズロー英語版の息子)と結婚、子供あり[16]
  • エリザベス(1824年没[16]

1828年7月17日、エマ・ソフィア・エッジカム英語版(1791年7月28日 – 1872年1月28日、第2代マウント・エッジカム伯爵リチャード・エッジカム英語版の娘)と再婚したが[1]、2人の間に子供はいなかった[16]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 348–350.
  2. ^ a b c d e Fisher, David R. (1986). "CUST, Hon. John (1779-1853), of Belton House, Lincs.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust.
  3. ^ a b "Cust, the Hon. John. (CST797J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ a b Foster, Joseph (1888–1892). "Cust, John, Earl Brownlow" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 1. Oxford: Parker and Co. p. 330. ウィキソースより。
  5. ^ "No. 15052". The London Gazette (英語). 21 April 1798. p. 791.
  6. ^ "No. 15609". The London Gazette (英語). 9 August 1803. p. 1008.
  7. ^ "No. 15617". The London Gazette (英語). 3 September 1803. p. 1157.
  8. ^ "No. 15773". The London Gazette (英語). 19 January 1805. p. 94.
  9. ^ a b Port, M. H. (1986). "Clitheroe". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年1月16日閲覧
  10. ^ "Cust; John (1779 - 1853); 1st Earl Brownlow". Record (英語). The Royal Society. 2022年1月16日閲覧
  11. ^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
  12. ^ "No. 16233". The London Gazette (英語). 28 February 1809. p. 269.
  13. ^ Sainty, John Christopher (June 2003). "Vice Admirals of the Coasts from 1660". Institute of Historical Research (英語). 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月16日閲覧
  14. ^ "No. 17066". The London Gazette (英語). 30 September 1815. p. 1997.
  15. ^ "John Cust, 1st Earl Brownlow". Centre for the Study of the Legacies of British Slavery (英語). 2022年1月16日閲覧
  16. ^ a b c d e f g h i Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 324–325.

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ロバート・カーゾン閣下英語版
エドワード・ベンティンク卿
庶民院議員(クリセロー選挙区英語版選出)
1802年 – 1807年
同職:ロバート・カーゾン閣下英語版
次代
ロバート・カーゾン閣下英語版
ジェームズ・ゴードン英語版
名誉職
先代
アンカスター=ケスティーヴァン公爵
リンカンシャー統監英語版
1809年 – 1852年
次代
グランビー侯爵
空位
最後の在位者
カースルトン伯爵
リンカンシャー海軍次官英語版
1809年 – 1853年
次代
ヤーバラ伯爵英語版
イギリスの爵位
爵位創設 ブラウンロー伯爵
1815年 – 1853年
次代
ジョン・エジャートン=カスト
グレートブリテンの爵位
先代
ブラウンロー・カスト
ブラウンロー男爵
1807年 – 1853年
次代
ジョン・エジャートン=カスト