ジョン・マリヌス・カイパース
生誕 (1900-11-15) 1900年11月15日
オランダの旗 オランダ ロッテルダム
死没 (1993-07-19) 1993年7月19日(92歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューオーリンズ
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者、音楽教育者
担当楽器 オルガン

ジョン・マリヌス・カイパース(John Marinus Kuypers、1900年11月15日 - 1993年7月19日[1])は、オランダ出身の指揮者[2]、音楽教師。

経歴

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1900年、ロッテルダムで生まれた。地元・ロッテルダムの公立学校に通いつつオルガン声楽を学び、14歳の時に渡米した。

20歳の時にアメリカ市民権を得て、ホープ大学の予備校に通いつつ、1923年までカールトン大学に進学した。1924年にはニューヨーク市立大学の夏期講座、1925年にはコロンビア大学の夏期講座に通った。一方で1914年から1932年まで個人的にオルガンと声楽の個人教授を受け続け、加えてヴァイオリンをヘンリー・ファン・デ・グレーフ、ピアノをマリー・スロース、ヴィオラをジェニー・クーレンとポール・ルメイに師事した。

1920年から1926年まではミネアポリス交響楽団の団員として働き、1926年から1932年までコイフ弦楽四重奏団のメンバーを務めた。1928年から1932年まではハムライン大学の音楽監督を務め、1942年から1947年までコーネル大学の音楽学部で教鞭をとった。1938年から1940年までミネアポリス交響楽団に客演指揮者として登場している。1942年から1947年まではコーネル大学のグリークラブの指揮者を務め、1947年よりイリノイ大学に移り、大学のオーケストラや合唱団の指揮者となった。音楽教育家としては、上記の大学のほかに1930年から1932年までにアイオワ大学の夏期講習、1940年にミネソタ州立ティーチャーズ・カレッジ、1940年から1942年までアイダホ大学、1949年にワシントン大学[要曖昧さ回避]の各大学で客員講師を務めた[3][4]

1993年、ニューオーリンズにて死去[5]

ディスコグラフィ

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  • Violin concerto BWV 1042 / Fugue / Bach, comp. ; Georges Enesco, vl.. Biddulph. (1995). OCLC 658845579 
  • Live recordings from the University of Illinois, 1949. Volume two. APR. (1999). OCLC 42249181 

脚注

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  1. ^ Directors Over Time”. 2016年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月16日閲覧。
  2. ^ Naxos
  3. ^ Stern, Lee (1951) (英語). Who is who in Music: A Complete Presentation of the Contemporary Musical Scene, with a Master Record Catalogue. Lee Stern Press. p. 262 
  4. ^ (英語) Who's who in the South and Southwest. Marquis. (1971). p. 417. OCLC 1157737 
  5. ^ John M. Kuypers - Death Record”. 2016年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月19日閲覧。