ジョン・ウォルドグレイヴ (第3代ウォルドグレイヴ伯爵)

第3代ウォルドグレイヴ伯爵ジョン・ウォルドグレイヴ英語: John Waldegrave, 3rd Earl Waldegrave 1718年4月24日1784年10月22日)は、グレートブリテン王国政治家軍人貴族。最終階級は陸軍大将。

第3代ウォルドグレイヴ伯爵
ジョン・ウォルドグレイヴ
John Waldegrave, 3rd Earl Waldegrave
グレートブリテン王国の旗 庶民院議員
任期
1747年 – 1754年
前任者グレノーシー卿英語版
ジョン・ベートマン閣下英語版
後任者ジョン・オフリー
ヘンリー・ビルソン=レッグ
選挙区オーフォード選挙区英語版
グレートブリテン王国の旗 庶民院議員
任期
1754年 – 1763年
前任者バプティスト・ルーソン=ゴア閣下
パーカー子爵
後任者トマス・ギルバート英語版
サー・ローレンス・ダンダス英語版
選挙区ニューカッスル=アンダー=ライム選挙区英語版
兵役経験
所属国グレートブリテン王国の旗 イギリス陸軍
軍歴1735年 – 1784年
最終階級陸軍大将
戦闘
オーストリア継承戦争
七年戦争

生涯

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出生

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初代ウォルドグレイヴ伯爵ジェイムズ・ウォルドグレイヴと妻メアリー(第3代準男爵サー・ジョン・ウェブの娘)の三男(次男ジョンは夭折)として、1718年4月28日にヘントで生まれた[1]

軍歴

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1735年5月13日に歩兵少尉として第1歩兵連隊に入隊、1739年1月8日に大尉(lieutenant and captain)、1743年4月10日に第3(ジョージ・オブ・デンマーク)歩兵連隊(1744年に第3歩兵連隊と改名、のちのバフス (王立イースト・ケント連隊)英語版)所属の中佐(captain and lieutenant colonel)となる[1]オーストリア継承戦争には所属連隊とともに参戦、1745年5月11日のフォントノワの戦いで負傷した[1]

1750年に第9歩兵連隊英語版隊長に任命され、1755年に第8竜騎兵連隊英語版隊長に転じた[1]。1757年に少将に昇進した後、1758年に第2騎兵連隊英語版隊長に転じた[1]

1758年より七年戦争に参戦、1758年6月のサン・マロ襲撃に参戦した後、ドイツ戦線に移り、1759年8月1日のミンデンの戦い、1760年7月31日のヴァールブルクの戦い、1760年10月15日のクローステル・カンペンの戦いで戦功を挙げた[1]。1761年と1762年の戦役でもグランビー侯爵英語版の部下として戦った[1]。1759年に中将に昇進、率いる連隊も近衛第2竜騎兵連隊英語版に変わった[1]

1760年にポーツマス総督英語版に任命され、1784年に死去するまで務めた[1]。1772年5月26日に陸軍大将に昇進、1773年に率いる連隊がコールドストリームガーズに変わった[1]

政治家・廷臣として

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兄のウォルドグレイヴ伯爵の影響力により[2]、1747年1月にカンバーランド公ウィリアム・オーガスタスエー=ド=カン英語版(副官)およびジョージ2世寝室宮内官英語版に任命された[1]同年の総選挙で政府の支持を受けてオーフォード選挙区英語版から出馬、無投票で当選した[3]1754年1761年の総選挙では妻の実家であるルーソン=ゴア家が勢力を有するニューカッスル=アンダー=ライム選挙区英語版から出馬して、無投票で当選した[4]

1760年から1763年までジョージ3世寝室宮内官英語版を務めた[1]。1763年4月8日に兄ジェイムズが死去すると、ウォルドグレイヴ伯爵位を継承した[1]貴族院ではおおむね宮廷に同調し、1765年印紙法の廃止に反対、チャールズ・ジェームズ・フォックスが1783年に提出した東インド法案に反対した[1]。貴族院での影響力は少なく、1767年以降は1783年のフォックス=ノース連立内閣以外の全内閣を支持した[5]

1770年から1784年に死去するまでシャーロット王妃主馬頭を務めた[1]。1781年から1784年に死去するまでエセックス統監英語版を務めた[1]

1784年10月22日にレディング近くのインで急死、30日にネイヴストック英語版で埋葬された[1]

人物

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痩せた人物であり、ホレス・ウォルポールは「痩せすぎて銃弾が当たらない」という趣旨の洒落でそれを茶化した[1]

子女

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1751年5月7日、エリザベス・ルーソン=ゴア(Elizabeth Leveson-Gower、1784年4月28日没、初代ゴア伯爵ジョン・ルーソン=ゴアの五女)と結婚[1]、3男5女をもうけた[2]。この結婚はゴア伯爵の許可を得ておらず、結婚式が第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューの許可を得てサンドウィッチ伯爵の邸宅で行われたため、ゴア伯爵は激怒してサンドウィッチ伯爵と決裂した[2]。しかし1754年と1761年の総選挙では自身が勢力を有する選挙区でウォルドグレイヴを当選させた[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche) (英語). Vol. 12.2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 309–310.
  2. ^ a b c Sedgwick, Romney R. (1970). "WALDEGRAVE, Hon. John (1718-84).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月13日閲覧
  3. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "Orford". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月13日閲覧
  4. ^ a b Brooke, John (1964). "Newcastle under Lyme". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月13日閲覧
  5. ^ Brooke, John (1964). "WALDEGRAVE, Hon. John (1718-84).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月13日閲覧
  6. ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 722.
  7. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 16.
  8. ^ Butler, Alfred T., ed. (1925). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語) (83rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2277.

関連図書

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外部リンク

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グレートブリテン議会英語版
先代
グレノーシー子爵英語版
ジョン・ベートマン閣下英語版
庶民院議員(オーフォード選挙区英語版選出)
1747年1754年
同職:ヘンリー・ビルソン=レッグ
次代
ジョン・オフリー
ヘンリー・ビルソン=レッグ
先代
バプティスト・ルーソン=ゴア閣下
パーカー子爵
庶民院議員(ニューカッスル=アンダー=ライム選挙区英語版選出)
1754年 – 1763年
同職:バプティスト・ルーソン=ゴア閣下 1754年 – 1761年
ヘンリー・ヴァーノン英語版 1761年 – 1762年
サー・ローレンス・ダンダス英語版 1762年 – 1763年
次代
トマス・ギルバート英語版
サー・ローレンス・ダンダス
軍職
先代
サー・チャールズ・ポーレット英語版
第9歩兵連隊英語版隊長
1750年 – 1755年
次代
サー・ジョゼフ・ヨーク英語版
先代
リチャード・セント・ジョージ英語版
第8竜騎兵連隊英語版隊長
1755年 – 1758年
先代
トマス・ブライ英語版
第2騎兵連隊英語版隊長
1758年 – 1759年
次代
ジョン・フィッツウィリアム閣下英語版
先代
ジョージ・サックヴィル卿
近衛第2竜騎兵連隊英語版隊長
1759年 – 1773年
次代
第4代タウンゼンド子爵
先代
リチャード・オンズロー英語版
ポーツマス総督英語版
1760年 – 1784年
次代
ジョージ・レノックス卿英語版
先代
第2代ティローリー男爵
コールドストリームガーズ隊長
1773年 – 1784年
次代
ヨーク・オールバニ公爵
宮廷職
先代
第5代ボーフォート公爵
シャーロット王妃主馬頭
1770年 – 1784年
次代
第4代ウォルドグレイヴ伯爵
名誉職
先代
第4代ロッチフォード伯爵
エセックス統監英語版
1781年 – 1784年
次代
第4代ハワード・ド・ウォルデン男爵英語版
グレートブリテンの爵位
先代
ジェイムズ・ウォルドグレイヴ
  ウォルドグレイヴ伯爵
1763年 – 1784年
次代
ジョージ・ウォルドグレイヴ