ジョゼ・コウセイロ
ジョゼ・ジュリオ・デ・カルヴァリョ・ペイロテオ・マルティンス・コウセイロ(José Júlio de Carvalho Peyroteo Martins Couceiro, 1962年10月4日 - )は、ポルトガルの元サッカー選手、サッカー指導者。
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名前 | ||||||
本名 |
ジョゼ・ジュリオ・デ・カルヴァーリョ・ペイロテオ・マルティンス・コウセイロ José Júlio de Carvalho Peyroteo Martins Couceiro | |||||
ラテン文字 | José Couceiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ポルトガル | |||||
生年月日 | 1962年10月4日(62歳) | |||||
出身地 | リスボン | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集サッカー指導者としてヴィトーリア・セトゥーバルで好成績を収め、2005年2月にFCポルト監督に就任。続いてCFベレネンセスを指揮し、2006年8月にU-21ポルトガル代表監督に任命された。
2008年7月、リトアニアのFBKカウナス監督に就任し、UEFAチャンピオンズリーグ予選でレンジャーズFCを2-1で撃破した。2008年8月にリトアニア代表監督に任命された[1]。
2010_FIFAワールドカップ予選のルーマニア戦ではアウェーにも関わらず3-0の快勝を収めた。予選突破は成らなかったものの、オーストリアなど格上の相手を苦しめている。
2011年2月26日、ポルトガルのスポルティングCP監督に就任するが、シーズン後に退任[2]。
2011年6月、ロシアのFCロコモティフ・モスクワ社長のオリガ・スモロードスカヤをはじめとした経営陣はユーリー・クラスノジャン監督を解任し、2年契約でコウセイロを監督に任命した[3]。クラスノジャン解任には選手の反発もあったが、コウセイロはチームをまとめ、アルベルト・サパテルやマヌエル・ダ・コスタなど新戦力を組み込んで快進撃を演出し、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグ突破に成功。2012年5月、シーズン終了後に解任された。
2018年7月、ポルトガルサッカー連盟の全国テクニカルディレクターに任命された[4]。
所属クラブ
編集- CDモンティージョ1981-1982
- FCバレイレンセ1982-1985
- アトレチコCP1985-1986
- SCUトッレエンセ1986-1988
- クルーベ・オリエンタル・デ・リスボア1988-1989
- SCUトレエンセ1989-1991
- CFエストレラ・アマドーラ 1991-1992
指導者経歴
編集- FCアルヴェルカ2002-2004
- ヴィトーリア・セトゥーバル 2004-2005
- FCポルト 2005
- CFベレネンセス 2005-2006
- U-21ポルトガル代表 2006-2007
- FBKカウナス 2008
- リトアニア代表 2008-2010
- ガズィアンテプスポル 2009-2010
- スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル 2011
- FCロコモティフ・モスクワ 2011-2012
- ヴィトーリア・セトゥーバル 2013-2014
- GDエストリル・プライア 2014-2015
- ヴィトーリア・セトゥーバル 2016-2018
脚注
編集- ^ コウセイロ氏、リトアニア代表監督兼任uefa.com(2008-8-20)、2012年1月3日閲覧。
- ^ スポルティングのセルジオ監督が退任 uefa.com(2011-2-26)、2012年1月3日閲覧。
- ^ ロコモティフ・モスクワ新監督にコウセイロ氏 uefa.com(2011-7-1)、2012年1月3日閲覧。
- ^ “FPF oficializa contratação de José Couceiro para diretor técnico nacional” (ポルトガル語). Record (5 July 2018). 20 August 2018閲覧。