ジョシュア・ケネディ

オーストラリアのサッカー選手

ジョシュア・ケネディ(Joshua Kennedy、1982年8月20日 - )は、オーストラリアビクトリア州ウォドンガ出身の元プロサッカー選手。元オーストラリア代表。現役時代のポジションはフォワード

ジョシュア・ケネディ
オーストラリア代表でのケネディ(2009年)
名前
本名 ジョシュア・ブレイク・ケネディ
Joshua Blake Kennedy
愛称 ジーザス、キリスト
ラテン文字 Joshua Kennedy
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1982-08-20) 1982年8月20日(42歳)
出身地 ウォドンガ
身長 194cm
体重 84kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
オーストラリアの旗 Twin City Wanderers
オーストラリアの旗 SS&A Boomers
1999 オーストラリアの旗 AIS
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 オーストラリアの旗 カールストン 4 (0)
2000-2002 ドイツの旗 ヴォルフスブルク 8 (2)
2002-2003 ドイツの旗 シュトゥットガルター 23 (1)
2003-2004 ドイツの旗 FCケルン 4 (0)
2003-2004 ドイツの旗 FCケルンⅡ 23 (9)
2004-2006 ドイツの旗 ドレスデン 60 (16)
2006-2008 ドイツの旗 ニュルンベルク 12 (1)
2008-2009 ドイツの旗 カールスルーエ 33 (7)
2009-2014 日本の旗 名古屋グランパス 128 (63)
2015 オーストラリアの旗 メルボルン・シティ 12 (2)
通算 307 (101)
代表歴
1999  オーストラリアU-17 4 (0)
2001  オーストラリアU-20 18 (7)
2006-2015 オーストラリアの旗 オーストラリア 36 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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クラブ

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1999年に母国オーストラリアのカールストンSCへ加入。2000年にドイツ・ブンデスリーガVfLヴォルフスブルクとプロ契約を結ぶ[1]。出場機会は2年間で8試合に留まり、2002年にレギオナルリーガ(ブンデスリーガの4部に相当)のシュトゥットガルター・キッカーズへ移籍。翌2003年にブンデスリーガの1.FCケルンに移籍するも、アマチュアチームでレギオナルリーガの試合に出場に留まった。

2005年になると、ツヴァイテリーガへの昇格を決めたディナモ・ドレスデンから注目を受け、移籍することとなった。チームは短期間で3部に降格となったが、ケネディは2004-05シーズンに9得点、2005-06年に7得点とクラブ得点王の活躍を見せた。

ドレスデンが3部に降格となったため、ワールドカップ終了後はトップチームでの出場を求めてブンデスリーガの1.FCニュルンベルクへ移籍。2008年1月にはブンデスリーガ残留争いの真っ只中にあったカールスルーエSCへ移籍し残留に貢献したものの、翌2008-09シーズンは不振によりツヴァイテリーガへの降格が決定した。ケネディはドイツ国内に限らずトップチームでのプレーを希望し、6月21日 Jリーグ名古屋グランパスへの移籍が発表された[2]。なお、ケネディにはこの年からJリーグで採用された「AFC枠」が適用された。

名古屋合流後は数試合若手主体の練習試合に出場した後、7月18日の京都サンガF.C.戦に初出場[3]し、試合は引き分けに終わったが、ヘディングで初得点を記録[3]。15試合の出場で6得点を挙げた。

名古屋では17得点を挙げてJリーグ得点王[4]に輝き、名古屋の初優勝に大きく貢献した。 さらに翌2011年も19得点を挙げ、2年連続得点王に輝いた。

2014年シーズン終了をもって6年間所属した名古屋を退団し、母国Aリーグメルボルン・シティFCへ移籍[5]

2015年6月26日、現役引退を発表した[6]。「Aリーグに戻ってきてプレーするチャンスをくれ、6カ月間サポートしてくれたメルボルン・シティにお礼を言いたい」と感謝の気持ちを表すとともに、引退の理由にフィジカル面を挙げ、「家族や友人とも相談した上で、プレーすることから離れることを決めた」と、決断に至った経緯を説明した。

代表

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ドイツでの活躍からオーストラリア代表監督のフース・ヒディンクによって、ドイツワールドカップのオーストラリア代表に抜擢される[7]。かつてU-17、U-20の各世代で代表経験はあったもののそれまでA代表経験はなく、またドイツの2部を渡り歩いていたことから世界的には無名に近かった[7]が、ベスト16進出に貢献し、以降も度々代表に招集されることとなる。

2010 FIFAワールドカップにはガーナ戦(途中出場)とセルビア戦(スタメン)の2試合に出場し無得点。

2014 FIFAワールドカップアジア最終予選では、最終節のイラク戦で決勝点を挙げ[8]、オーストラリア代表を3大会連続4回目のW杯出場へ導いた。

評価・プレースタイル

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194cmの長身とヘディングの強さから空中戦では圧倒的な強さを誇り、ヘディングに加えて足元の技術も巧みであり高いキープ力を併せ持ち前線で攻撃をコントロールできるチャンスメーカー[9]。それらのスタイルからオーストラリア代表で監督・コーチを歴任したグラハム・アーノルドは、ケネディをピーター・クラウチとイメージを重ねていたという[10]。周囲を活かすため無得点の試合でも高い評価を得ることがあり、辛口で知られるキッカー誌の平均評価も3.10の高評価であった(数字は少ないほど高評価)。

名古屋に移籍してからは単なるクロスボールのターゲットではなく、ポストプレーや時にはサイドに移る動きを見せ、オーストラリア代表においても監督のホルガー・オジェックからも同じくJリーグに在籍したアレックス・ブロスケと共に「Jリーグに行ってからスキル(技術)が上がった」と唸らせた[11]

エピソード

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  • ドイツワールドカップ直前の2006年5月26日、バスケットボール女子オーストラリア代表ジャシンタ・ハミルトン英語版と結婚した[10]。夫妻の間には1男2女の3子がいる[12]
  • 南アフリカワールドカップ後、愛称の由来になっていた長髪(5 - 6年間伸ばしていたという)を短く切って日本に戻り、周囲を驚かせた。ジョーク好きでも知られており、髪を切った際も「女房が新しい男が欲しいと言うのでガラリと変えたのさ」などと語っている[13]。2010年Jリーグ得点王の表彰の際にゴールデンブーツを貰った時も「Jリーグの関係者の皆さんに謝らなければいけません。というのは、やはり2足欲しいですから」とのコメントを残している[14]。 翌年のJリーグでは、19得点を挙げ2年連続得点王となり、Jリーグアウォーズにおいて「両足分揃ったので、来年はこれで試合に出ます」と(自身はケガで欠席したため、楢﨑正剛が代読の形で)コメントした[15]。自身が持病の腰痛で不参加だった2011年アジア杯の決勝戦の予想に対しても「豪州が優勝すると思うが、日本を脅かす選手が足りない」と答え、誰の事か?と尋ねれば「俺だよ」とも語っていた[16]
  • 2011年の選手名鑑において、「好きなサッカー選手」として当時のチームメイトの田中マルクス闘莉王を挙げている[17]
  • ブラジルワールドカップ・アジア最終予選最終節イラク戦では控えメンバーとしてベンチ入りしたが、同じく控えに入っていたDFジェイド・ノースから不意に「君が決勝点を挙げることになるだろう」と告げられた。ケネディは腰痛の影響もあって同最終予選での出場機会を得られておらず、代表での得点からも遠ざかっていたため、ノースの言葉を不思議に思ったものの、ノースの言う通りの結果となった[8][18]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
1999-00 カールストン NSL 4 0 0 0 0 0 4 0
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2000-01 ヴォルフスブルク ブンデス1部 1 0 0 0 0 0 1 0
2001-02 7 2 0 0 1 2 8 4
2002-03 シュトゥットガルト レギオナル 23 1 - - 23 1
2003-04 FCケルンII 23 9 - - 23 9
2003-04 FCケルン 34 ブンデス1部 4 0 0 0 0 0 4 0
2004-05 ドレスデン ブンデス2部 34 9 - 1 0 35 9
2005-06 26 7 - 1 0 27 7
2006-07 ニュルンベルク 20 ブンデス1部 0 0 0 0 0 0 0 0
2007-08 12 1 1 0 2 1 15 2
カールスルーエ 17 10 4 0 0 0 0 10 4
2008-09 23 2 0 0 3 0 26 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 名古屋 16 J1 15 6 1 0 4 3 20 9
2010 31 17 1 1 0 0 32 18
2011 31 19 0 0 4 0 35 19
2012 18 5 0 0 1 0 19 5
2013 27 12 2 0 0 0 29 12
2014 11 5 0 0 0 0 11 5
通算 オーストラリア Aリーグ 4 0 0 0 0 0 4 0
ドイツ ブンデス1部 57 9 1 0 6 3 64 12
ドイツ ブンデス2部 60 16 - 2 0 62 16
ドイツ レギオナル 46 10 - - 46 10
日本 J1 133 64 4 1 9 3 146 68
総通算 310 114 5 1 17 6 332 121

※太字はリーグ最多

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2009 名古屋 16 4 3
2011 4 0
2012 4 1
通算 AFC 12 4

個人タイトル

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脚注

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  1. ^ “ケネディ待ってたぜ! 194センチ豪代表FW 逆転Vの切り札が来た”. 中日スポーツ. (2009年6月19日). オリジナルの2009年7月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090728075758/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/grampus/news/200906/CK2009061902000033.html 2009年7月21日閲覧。 
  2. ^ 名古屋グランパス (2009年6月21日). “ジョシュア・ケネディ選手、新加入のお知らせ”. 2009年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月21日閲覧。
  3. ^ a b “名古屋・ケネディ、初陣弾 京都と引き分け”. 中日新聞. (2009年7月19日). http://www.chunichi.co.jp/article/sports/news/CK2009071902000146.html 2009年7月21日閲覧。 [リンク切れ]
  4. ^ 前田遼一ジュビロ磐田)と同得点で、2者がタイトル獲得
  5. ^ 名古屋グランパス (2014年11月6日). “ケネディ選手、来季よりメルボルン・シティFCへ移籍のお知らせ”. 2014年12月7日閲覧。
  6. ^ J1、2季連続得点王の元名古屋FWケネディが現役引退を発表soccerking 2015年6月26日
  7. ^ a b “オーストラリアに隠し玉、194センチFW”. 日刊スポーツ. (2006年5月11日). http://germany2006.nikkansports.com/paper/p-sc-tp3-20060511-0010.html 2009年7月21日閲覧。 
  8. ^ a b Matches Australia 1 0 Iraq FIFA (2013年6月18日)(英語)
  9. ^ “ケネディ獲得 ピクシー、ポストプレー期待”. 中日スポーツ. (2009年6月22日). オリジナルの2009年8月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090803123132/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/grampus/news/200906/CK2009062202000034.html 2009年7月21日閲覧。 
  10. ^ a b “ケネディ、ミリガン…サッカールーズ新星の横顔”. スポニチワールドサッカープラス. (2006年5月15日). http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2006/05/post_263.html 2009年7月21日閲覧。 [リンク切れ]
  11. ^ “豪代表のオジェック監督「ケネディとアレックスはJで成長した」”. サッカーキング. (2011年10月8日). オリジナルの2011年10月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111011111208/http://www.soccer-king.jp/jleague/article/201110082140_nagoya_kennedy.html 2011年10月14日閲覧。 
  12. ^ 【名古屋】ケネディ ハッピー 長男誕生[リンク切れ] 日刊スポーツ 2011.5.2付記事
  13. ^ アーカイブされたコピー”. 2010年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月18日閲覧。
  14. ^ 【2010Jリーグアウォーズ】得点王/ケネディ選手(名古屋)コメント Archived 2010年12月10日, at the Wayback Machine. J's GOAL 2010.12.6付ニュースリリース
  15. ^ 受賞者のコメント一覧”. Jリーグ (2011年12月5日). 2012年1月24日閲覧。[リンク切れ]
  16. ^ “ケネディ、腰ノープロブレム”. 中日スポーツ. (2011年1月29日). オリジナルの2011年2月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110201054151/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/grampus/news/201101/CK2011012902000002.html 2011年10月14日閲覧。 
  17. ^ 『2011 J1&J2選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年3月、JANコード 4910239980317、p12
  18. ^ Kennedy details his injury torment スペシャル・ブロードキャスティング・サービス (2013年8月28日)(英語)

関連項目

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外部リンク

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