ジョアン・ペレイラ
ジョアン・ペドロ・ダ・シルヴァ・ペレイラ(João Pedro da Silva Pereira, 1984年2月25日 - )は、ポルトガル・リスボン出身の元サッカー選手および指導者。現役時代のポジションは右サイドバック。
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スポルティングCP時代(2022年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 | João Pedro da Silva Pereira | |||||
カタカナ | ジョアン・ペドロ・ダ・シルヴァ・ペレイラ | |||||
ラテン文字 | João Pereira | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ポルトガル | |||||
生年月日 | 1984年2月25日(40歳) | |||||
出身地 | リスボン | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (RSB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1990-1994 | ドミンゴス・サヴィオ | |||||
1994-2003 | ベンフィカ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2006 | ベンフィカ | 58 | (4) | |||
2005 | ベンフィカB | 2 | (0) | |||
2006 | → ジル・ヴィセンテ (loan) | 14 | (0) | |||
2006-2007 | ジル・ヴィセンテ | 25 | (1) | |||
2007-2009 | ブラガ | 67 | (1) | |||
2010-2012 | スポルティングCP | 61 | (3) | |||
2012-2015 | バレンシア | 55 | (0) | |||
2015 | ハノーファー | 5 | (0) | |||
2015-2017 | スポルティングCP | 28 | (0) | |||
2017-2021 | トラブゾンスポル | 106 | (3) | |||
2021 | スポルティングCP | 5 | (0) | |||
通算 | 431 | (13) | ||||
代表歴 | ||||||
2000 | ポルトガル U-15 | 7 | (1) | |||
2000-2001 | ポルトガル U-16 | 7 | (0) | |||
2002 | ポルトガル U-18 | 5 | (1) | |||
2002-2003 | ポルトガル U-19 | 15 | (1) | |||
2004-2007 | ポルトガル U-21 | 28 | (1) | |||
2010-2014 | ポルトガル | 40 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2021-2022 | スポルティングCP U-23アシスタント | |||||
2022-2024 | スポルティングCP U-23 | |||||
2024 | スポルティングCP B | |||||
2024- | スポルティングCP | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
攻撃的なサイドバックにして、相手選手や審判相手と幾度となく口論する火のような気質で知られている[1]。自国の強豪SLベンフィカとスポルティングCP等に在籍し、スーペル・リーガの舞台で199試合9得点を記録。2005年にはリーグ優勝を経験している。
ポルトガル代表としてはUEFA EURO 2012のメンバーに選出された。
選手歴
編集ベンフィカ
編集リスボンに生まれたペレイラは、地元のSLベンフィカのユースに所属を経て2003年8月17日のボアヴィスタFC戦(アウェイ0-0)でリーグ初出場を飾り、以降を主にミッドフィルダーとして起用され25試合に出場した。
2004-05シーズンも定期的に先発起用されリーグ優勝を経験するも、翌2005-06シーズンにロナルド・クーマン監督が就任すると、構想外となり度々控えにまわされ、最終的にBチームにまで落とされた。ジル・ヴィセンテFCへの期限付き移籍を経て、2006年夏に同クラブへ売却された。
ブラガ
編集2007年8月3日、ベンフィカへ去ったルイス・フィリペの後釜としてSCブラガと契約[2] し、完全に右サイドバックへとポジションを再変更した。
加入してすぐさま中心選手としてプレーし、2009年2月22日のアソシアサン・ナヴァル・プリメイロ・デ・マイオで移籍後初得点を挙げた。また、最初の2シーズンでイエローカード18枚、レッドカード1枚を提示された。
スポルティングCP
編集2009年12月22日に移籍金300万ユーロでスポルティングCPと契約を締結[3]。この時点でブラガとベンフィカが並び一時期リーグを牽引し、スポルティングに勝ち点差12をつけていたが、最終的に20以上も離され4位でシーズンを終えた。
2010-11シーズンは、中心選手としてミッドフィルダー及びディフェンダーで起用され3位で終えた。また、2011年4月30日のポルティモネンセSC戦(ホーム2-1勝利)で得点を挙げるも、審判をひどく侮辱したとして同僚のアンドレ・サントスに続き後半途中に退場処分となっている[4]。
バレンシア
編集2012年5月24日に移籍金360万ユーロでリーガ・エスパニョーラのバレンシアCFと3+1年の契約を締結[5]。8月19日のレアル・マドリード戦(アウェイ1-1)で公式戦初出場を飾る[6]。
ハノーファー96
編集2015年1月29日、バレンシアとの契約を解除し、ブンデスリーガのハノーファー96に加入[7]。5試合の出場にとどまり、シーズン終了をもって退団。
スポルティングCP(第2期)
編集2015–16シーズンより、古巣スポルティングCPに2年契約で復帰。主力やサブとして活躍するものの、トルコのトラブゾンスポルに移籍のため2016年末に退団。
トラブゾンスポル
編集2016–17シーズン後半より、トルコ スュペル・リグのトラブゾンスポルに入団。主力として活躍し、2019-20シーズンにはカップ戦テュルキエ・クパスのタイトル獲得に貢献した。翌2020-21シーズン前半をもって退団。
スポルティングCP(第3期)
編集2020-21シーズン後半より3度目の所属。翌シーズンからクラブの指導者転身を見据えての復帰であった。なお今シーズン、クラブは19年ぶりにプリメイラ・リーガ優勝を飾っている。シーズン終了後、予定通り選手生活に終止符を打つ。
代表歴
編集ベンフィカのユース時代には、U-15からU-21までの各年代別代表に招集されている。
パウロ・ベント新監督の下で2010年10月にポルトガルA代表に初招集され、UEFA EURO 2012予選のデンマーク代表戦で初出場を飾り、次のアイスランド戦にも出場。両試合とも3-1で勝利した。
指導歴
編集スポルティングCP
編集指導者に転身し、2021–22シーズンよりスポルティングCPのU-23アシスタントコーチに就任。さらにヘッドコーチを経て2024–25シーズンからBチーム監督を務めていたシーズン途中の11月、ルーベン・アモリム監督の移籍に伴いトップチームの監督に昇格した[8]。
タイトル
編集選手
編集- テュルキエ・クパス:1回 (2019-20)
- プリメイラ・リーガ:1回 (2020-21)
脚注
編集- ^ "Portugal’s World Cup squad: who will make the plane to South Africa?" Archived 2010年8月9日, at the Wayback Machine.
- ^ "Double signing strengthens Braga"
- ^ "スポルティングがペレイラを獲得"
- ^ "Nine-man Sporting hold on for three points" Archived 2011年5月22日, at the Wayback Machine.
- ^ "バレンシアがジョアン・ペレイラを獲得"
- ^ "リーガ王者マドリー、開幕戦でつまずく"
- ^ "ハノーファー、J・ペレイラ獲得を発表 酒井宏と定位置争いか"
- ^ “スポルティング、マンUへ旅立ったアモリム氏の後任が正式決定!「数年前から決まっていた話」”. Soccer-king (2024年11月12日). 2024年11月13日閲覧。