ジュリア集合
複素力学系におけるジュリア集合(ジュリアしゅうごう、英: Julia set)は、ある複素関数の反復で無限遠に行かない出発点から成る集合の境界として定義される複素平面上の集合である[1]。より技術的・標準的には、ジュリア集合は反復の族が正規ではない点の集合として定義される[2][3]。たいていのジュリア集合はフラクタルと呼ばれる図形になる[4][5]。名称は、20世紀初頭に複素関数の反復を研究したガストン・ジュリアに因む[6]。
定義
編集f をリーマン球面 からそれ自身への正則関数 f : → とする。f の n 回反復合成を f n(z) と表すとする。点 z ∈ のある近傍 U(z) ⊂ 上で、族 {f n|U}∞
n=1 が正規族となるとき、このような点全体の集合をファトゥ集合と呼ぶ[7]。f のファトゥ集合を Ff と表すとする。ジュリア集合はファトゥ集合の補集合として定義される。すなわち、f のジュリア集合を Jf と表せば
である[8]。
上記のジュリア集合の定義は、有理関数や有理型関数などの一般の複素関数論の中で使われ、応用範囲も広い[9]。他方、反復する複素関数が多項式のときは次のようにジュリア集合を定義することもある。
P を2次以上の複素多項式 P(z) = anzn + an−1zn−1 + … + a0 とする。係数 an, an−1 … a0 も複素数である。まず、複素平面 C からそれ自身への多項式関数 P : C → C の充填ジュリア集合 KP を
と定義する。ジュリア集合は充填ジュリア集合の境界として定義される。すなわち、P のジュリア集合を JP と表せば
である[10][11]。反復する複素関数が多項式ならば、この定義のジュリア集合は上記の定義のジュリア集合と同値である[12]。
簡単な例
編集最も簡単な例として P(z) = z2 という複素関数が挙げられる[5]。 これは与えられた z を2乗するだけの関数で、図形的には複素平面上で z の絶対値を2乗し、 z の偏角を2倍にする[13]。複素数を極形式で表すと z = |z|eiθ であるから、この場合の P の k 回反復は
と表すことができる[14]。よって、|z| < 1 ならば、k → ∞ のとき P k(z) → 0 であり、|z| > 1 ならば、k → ∞ のとき P k(z) → ∞ である[5][15]。例えば、絶対値 2.236… の z = 1 + 2i から出発すると
- z = 1 + 2i
- P (z) = −3 + 4i
- P 2(z) = −7 − 24i
- P 3(z) = −527 + 336i
- P 4(z) = 164833 − 354144i
- ⋮
となって値は ∞ へ近づく[16]。他方、絶対値 0.583… の z = 0.5 + 0.3i から出発すると
- z = 0.5 + 0.3i
- P (z) = 0.16 + 0.3i
- P 2(z) = −0.0644 + 0.096i
- P 3(z) = −0.00507 − 0.01236i
- P 4(z) = −0.00013 + 0.00013i
- ⋮
となって値は零 0 + 0i へ近づく[16]。
他方で、|z| = 1 すなわち z が単位円 {z ∈ C | |z| = 1} 上の点であるときは、|P(z)| = 1 であるから P の像もまた単位円上の点となる[17]。よって、|z| = 1 ならば、すべての k について P k(z) は単位円上に留まる[5]。さらに、単位円上には周期点が稠密に存在する[17]。例えば θ = 2π/7, 4π/7, 8π/7 と θ = 6π/7, 10π/7, 12π/7 は3周期点の組である[18]。
以上より、P(z) = z2 の充填ジュリア集合 KP は単位円板 {|z| ≤ 1} で、ジュリア集合 JP はその境界の単位円 {|z| = 1} である[5]。また、ファトゥ集合 FP は {|z| < 1} ∪ {|z| > 1} である[19]。
基本的性質
編集定義よりファトゥ集合は開集合なので、ジュリア集合は閉集合である[8][20]。以下、関数 f を超越整関数または2次以上の有理関数とする。ジュリア集合 Jf は空集合ではない[21]。また、Jf は完全集合である。すなわち、Jf は孤立点を持たない[21]。さらに、ジュリア集合は完全不変である。すなわち、f (J) ⊂ J かつ f −1(J) ⊂ J が成り立つ[22][20]。
ジュリア集合 Jf は、Jf が C または と一致しなければ、内点を持たない[23]。f が多項式関数のときは、Jf は常に内点を持たない[24]。
f : → におけるジュリア集合のある点 z ∈ J (f) の近傍を U とする。モンテルの定理より、任意の z, U に対して集合
は2点以下であることが分かる[4][25]。EU に属する点は例外点と呼ばれ、 上で考える多項式では ∞ が例外点である[4]。同様にモンテルの定理から、3点以上を含んでなおかつ f に関して完全不変な閉集合の中で最小の集合が、ジュリア集合である[26][12]。
ある点 z がジュリア集合に含まれるかを判別することは一般的に困難だが、周期点の場合は次のようなことが分かる。f を有理型関数とし、z0 を n 周期点とする。このとき、
で定義される λ が
z が反発周期点または有理的中立周期点であれば、z はジュリア集合に含まれる[28]。反発周期点についてはさらに強いことが言える。f を超越整関数または2次以上の有理関数とする。このとき、f の反発周期点全体から成る集合は Jf において稠密である[21]。非標準ながら、f が多項式関数のときに f の反発周期点全体の閉包をジュリア集合と定義する例もある[29][30]。
ジュリア集合 Jf は充填ジュリア集合 Kf の境界だが、Kf が内点を持たなければ、その場合はジュリア集合と充填ジュリア集合が一致する[31]。このような Jf = Kf の場合の代表例は、ジュリア集合がカントール集合になる場合と樹形突起になる場合である[32]。ここで Jf がカントール集合であるとは、Jf がコンパクト、全不連結、孤立点を持たない場合をいう[33]。また、Jf が樹形突起であるとは、 Jf がコンパクト、連結かつ局所連結で内点を持たず、さらに C ∖ Jf が連結である場合をいう[34]。全不連結なジュリア集合はファトゥ塵などとも呼ばれる[35]。
出典
編集- ^ ファルコナー 2020, p. 271.
- ^ Falconer 2006, pp. 274–275.
- ^ Devaney 2003, p. 202.
- ^ a b c 宇敷 1987, p. 58.
- ^ a b c d e Falconer 2006, p. 271.
- ^ グーリック 1995, p. 193.
- ^ 上田・谷口・諸沢 1995, pp. 35–36.
- ^ a b 上田・谷口・諸沢 1995, p. 36.
- ^ Falconer 2006, pp. 275–276.
- ^ Falconer 2006, pp. 270–271.
- ^ 上田・谷口・諸沢 1995, p. 2.
- ^ a b 上田・谷口・諸沢 1995, p. 51.
- ^ ファルコナー 2020, pp. 77–78.
- ^ デバニー 2007, p. 229.
- ^ デバニー 2007, pp. 229–230.
- ^ a b ファルコナー 2020, p. 78.
- ^ a b デバニー 2007, p. 230.
- ^ デバニー 2007, p. 231.
- ^ 志賀 2023, p. 108.
- ^ a b 宇敷 1987, p. 57.
- ^ a b c 上田・谷口・諸沢 1995, p. 52.
- ^ 上田・谷口・諸沢 1995, pp. 36–37.
- ^ 上田・谷口・諸沢 1995, p. 48.
- ^ Devaney 2003, p. 254.
- ^ 上田・谷口・諸沢 1995, pp. 35, 37.
- ^ 志賀 2023, p. 110.
- ^ a b 上田・谷口・諸沢 1995, p. 37.
- ^ 上田・谷口・諸沢 1995, p. 38.
- ^ Devaney 2003, p. 237, 252.
- ^ グーリック 1995, p. 192.
- ^ ドゥアデイ 1987, p. 161.
- ^ 上田・谷口・諸沢 1995, pp. 3–4.
- ^ 上田・谷口・諸沢 1995, p. 4.
- ^ 上田・谷口・諸沢 1995, p. 3.
- ^ グーリック 1995, p. 194.
参照文献
編集- 上田 哲生・谷口 雅彦・諸沢 俊介、1995、『複素力学系序説 ―フラクタルと複素解析―』初版、培風館 ISBN 4-563-00585-1
- 志賀 啓成、2023、「複素力学系」、『幾何学百科Ⅲ 力学系と大域幾何』初版、朝倉書店 ISBN 978-4-254-11618-2
- Kenneth Falconer、服部 久美子・村井 浄信(訳)、2006、『フラクタル幾何学』、共立出版〈新しい解析学の流れ〉 ISBN 4-320-01801-X
- ケネス・ファルコナー、服部 久美子(訳)、2020、『フラクタル』、岩波書店〈岩波科学ライブラリー291〉 ISBN 978-4-00029691-5
- Robert L. Devaney、國府 寛司・石井 豊 ・新居 俊作・木坂 正史(新訂版訳)、後藤 憲一(訳)、2003、『カオス力学系入門』新訂版、共立出版 ISBN 4-320-01705-6
- デニー・グーリック、前田 恵一・原山 卓久(訳)、1995、『カオスとの遭遇 ―力学系への数学的アプローチ』初版、産業図書 ISBN 4-7828-1009-1
- 宇敷 重広、1987、『フラクタルの世界 ―入門・複素力学系―』第1版、日本評論社 ISBN 4-535-78159-1
- アドリアン・ドゥアデイ、宇敷 重広(訳)、1988、「ジュリア集合とマンデルブロー集合」、『フラクタルの美 ―複素力学系のイメージー』初版、シュプリンガー・フェアラーク東京 ISBN 4-431-70538-4
- ロバート・L・デバニー、上江洌 達也・重本 和泰・久保 博嗣・田崎 秀一(訳)、2007、『カオス力学系の基礎』新装版、ピアソン・エデュケーション ISBN 978-4-89471-028-3