ジャン=リュック・ブラッサール

ジャン=リュック・ブラッサールJean-Luc Brassard1972年8月24日 - )は、カナダケベック州バリーフィールド出身のモーグルスキーヤーである。

ジャン=リュック・ブラッサール
名前
カタカナ ジャン=リュック・ブラッサール
ラテン文字 Jean-Luc Brassard
基本情報
国籍 カナダの旗 カナダ
種目 モーグル
生年月日 (1972-08-24) 1972年8月24日(52歳)
生誕地 バリーフィールド
身長 171cm
体重 73kg
ワールドカップ戦歴
デビュー年 1990-1991季
引退年 2001-2002季
総合優勝 1992-1993季
1995-1996季
1996-1997季(2連覇)
通算成績 115戦24勝(表彰台50回)
獲得メダル
男子 フリースタイルスキー
オリンピック
1994 リレハンメル モーグル
世界選手権
1993 モーグル
1995 モーグル
1997 モーグル

経歴

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18歳でカナダのモーグル代表選手に選ばれ、1990-1991シーズンにワールドカップへ初参戦した。初参戦のシーズンながら5戦目で表彰台に登り、地元カナダで行なわれた6戦目で史上初の18歳での初優勝を果たす。18歳と5ヶ月での優勝は男子モーグルの最年少優勝記録となり、10年以上破られなかったが、2005-2006シーズンにアレキサンダー・ビロドウが18歳と4ヶ月で優勝し、僅か1ヶ月程度の差で破られた。同シーズン半ばの2月に行なわれた世界選手権にも出場したが12位に終わった。1991-1992シーズンは初戦2位、2戦目優勝、3戦目3位、4戦目3位など序盤から表彰台を連発して、最終的には表彰台が11戦中8回という好成績を収めて総合2位に入った。同シーズン半ばの2月に行なわれた1992年アルベールビルオリンピックでは予選で3位と健闘するが決勝では7位に終わった。20歳になった1992-1993シーズンは12戦中6勝、2位2回という圧倒的な強さで総合優勝を果たした。同シーズンの3月に行われた世界選手権では唯一の26点台を叩き出してカナダ人初の優勝を果たした。1993-1994シーズンは3勝を挙げたがエドガー・グロスピロンセルゲイ・シュプレツォフに及ばず、総合3位に終わった。しかし、同シーズンの2月に行われた1994年リレハンメルオリンピックではエドガーとセルゲイを破り、フリースタイル種目でカナダ人初となるオリンピック金メダルを獲得した。これでモーグルの世界3大タイトルであるワールドカップ、世界選手権、オリンピックを全て制覇となった。1994-1995シーズンは10戦7戦で表彰台に上がるもエドガーとセルゲイに阻まれ、1度も優勝はならず、2年連続でエドガーとセルゲイに続く総合3位となった。同シーズンの2月に行われた世界選手権ではセルゲイの点数は上回ったものの、エドガーがさらなる高得点を出した為、惜しくも世界選手権連覇はならず、2位となった。このように1990年代前半はエドガー、セルゲイらと上位を争い、3強と呼ばれた。しかし、同シーズンを最後にエドガーは引退し、セルゲイは事故で亡くなった。エドガーもセルゲイもいない1995-1996シーズン、11戦中8戦に出場して6勝を挙げ、2度目の総合優勝を果たした。また、このシーズンよりデュアルモーグルが開催されたが成績は振るわず最高でベスト16に終わった。1996-1997シーズンは7戦中6戦に出場して3勝を挙げて、3度目の総合優勝を果たし、ワールドカップ2連覇を達成した。また、同シーズン中にデュアルでも初優勝している。同シーズンの2月に行われた世界選手権では唯一の27点台を叩き出して2度目の世界選手権優勝を果たした。1997-1998シーズンは上位はキープするもののシングルとデュアルでそれぞれ1勝を挙げるに留まり、シングルとデュアルの両方で総合2位となった。同シーズンの2月に行われた1998年長野オリンピックでは0.2ポイント及ばず惜しくもメダルを逃し、4位に終わった。1998-1999シーズンは初戦で1勝を挙げたものの後が続かず、結局4位に終わった。同シーズンの3月に行われた世界選手権ではシングルで予選落ちと惨敗し、デュアルでもベスト8止まりだった。1999-2000シーズンはさらに調子を落として成績は振るわず、最終戦スーパーファイナルのトレーニング中に靭帯断裂の大怪我を負う。翌シーズンには復帰して2月に日本戦の1戦のみ出場するが転倒して予選落ちに終わった。2001-2002シーズンはシングル全戦、デュアル3戦中2戦に出場して、シングルで1度だけ3位になり表彰台に上がった。同シーズンの2月に行われた2002年ソルトレークシティオリンピックでは予選敗退で21位に終わり、同シーズンを最後に引退した。

エア

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デビュー当初からバックスクラッチャー・コザックのダブルを得意としていた。さらにコザックを最初に加えたコザック・バックスクラッチャー・コザックのトリプルも使用した。このトリプルはスキーの動きが大きい為に滞空時間がクォード並みに必要であったことなどから、他に使用する選手はいなかった。その為、このエアにはジャン=リュック・ブラッサールのイニシャルからJLBという名前が付けられた。また、バックスクラッチャー・コザック・バックスクラッチャーのトリプルもあり、こちらはジャン=リュックが命名し、ヤマグチと呼ばれる。

主な成績

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ワールドカップ

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戦績表

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シーズン シングル デュアル オーバーオール
総合成績
大会数 出場数 1位 2位 3位 総合成績 大会数 出場数 1位 2位 3位 総合成績
1990-1991 11戦 11戦 1回 1回 7位 24位
1991-1992 11戦 11戦 1回 3回 4回 2位 9位
1992-1993 12戦 12戦 6回 2回 優勝 3位
1993-1994 11戦 11戦 3回 1回 3位 9位
1994-1995 10戦 10戦 2回 5回 3位 13位
1995-1996 11戦 8戦 6回 優勝 3戦 2戦 最高9位 24位 7位
1996-1997 7戦 6戦 3回 1回 2回 優勝 6戦 6戦 1回 2位 4位
1997-1998 8戦 7戦 1回 1回 2位 5戦 5戦 1回 2位 9位
1998-1999 5戦 5戦 1回 2回 4位 3戦 2戦 最高9位 23位 9位
1999-2000 7戦 6戦 最高5位 8位 4戦 2戦 1回 13位 17位
2000-2001 7戦 1戦 30位 - 1戦 0戦 -
2001-2002 8戦 8戦 1回 7位 3戦 2戦 最高8位 20位 -
通算成績 - 96戦 22回 12回 13回 - - 19戦 2回 1回 - -

優勝歴

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  • 1990-91シーズン 
    • 第6戦モンガブリエル(カナダ)優勝
  • 1991-92シーズン 
    • 第2戦ツェルマット(スイス)優勝
  • 1992-93シーズン 
    • 第2戦ピアンカヴァッロ(イタリア)優勝、第5戦レークプラシッド(アメリカ)優勝、第6戦ル・ルレ(カナダ)優勝、第8戦マイリンゲン(スイス)優勝、第10戦リビーニョ(イタリア)優勝、第12戦リレハンメル(ノルウェー)優勝
  • 1993-94シーズン 
    • 第3戦ブラッコム(カナダ)優勝、第5戦レークプラシッド(アメリカ)優勝、第6戦ル・ルレ(カナダ)優勝 
  • 1995-96シーズン
    • シングル:第1戦ティーニュ(フランス)優勝、第7戦キルヒベルク(オーストリア)優勝、第8戦ラ・クルザ(フランス)優勝、第9戦フンドフィイェッレット(スウェーデン)優勝、第10戦アルテンマークト(オーストリア)優勝、第11戦マイリンゲン(スイス)優勝 
  • 1996-97シーズン
    • シングル:第1戦ティーニュ(フランス)優勝、第4戦レークプラシッド(アメリカ)優勝、第6戦アルテンマークト(オーストリア)優勝
    • デュアル:第1戦ティーニュ(フランス)優勝
  • 1997-98シーズン
    • シングル:第5戦ブラッコム(カナダ)優勝
    • デュアル:第1戦ティーニュ(フランス)優勝
  • 1998-99シーズン
    • シングル:第1戦モントランブラン(カナダ)優勝 

世界選手権

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オリンピック

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参考文献

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外部リンク

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