ジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタン
ジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタン(Jean-Joseph Benjamin-Constant、出生時の名はJean-Joseph Constant、1845年6月10日 - 1902年5月26日)はフランスの画家である。
ジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタン Jean-Joseph Benjamin-Constant | |
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生誕 |
1845年6月10日 フランス,パリ[1] |
死没 |
1902年5月26日 フランス,パリ |
運動・動向 | オリエンタリズム |
略歴
編集パリで生まれた。父親のジョセフ=ジャン=バプティスト・コンスタンは地理学者である。1847年に母親が亡くなり、トゥールーズに住む叔母の家で育てられた。1860年からトゥールーズの高等美術学校で、ジュール・ガリピュイ(Jules Garipuy)に学んだ後、1866年にパリの国立高等美術学校に入学し、アレクサンドル・カバネルの学生となった。ウジェーヌ・ドラクロワの影響を受けて、「オリエンタリズム」の画家になり、画家仲間のジョルジュ・クレラン(Georges Clairin:1843-1919) とアンリ・ルニョー(Henri Regnault:1843-1871)と1870年にモロッコのタンジェに滞在した。同じ年、フランスに戻り普仏戦争に従軍した。
1871年から1873年はスペインを訪れた後、再びモロッコに渡りタンジェに住んだ。1880年代の終わりまで「オリエンタリズム」の作品をサロン・ド・パリに出展し、成功した。その後肖像画やトゥールーズの劇場やパリのシティー・ホールなどの壁画、天井画を描く仕事もした。
1888年にはアメリカ合衆国やカナダを旅した。その年、ギュスターヴ・ブーランジェの後任としてアカデミー・ジュリアンの教授に就任し、1889年のパリ万国博覧会に出展し金賞を受賞した。
1893年に美術アカデミーの会員に選出され、メンバーに選出され、パリの国立高等美術学校でも教えた。1896年に息子の肖像画でサロン・ド・パリで金賞を受賞した。
1893年にレジオンドヌール勲章(コマンドゥール)を受勲した。
作品
編集脚注
編集- ^ フランス語版では古い地名、セーヌ県のfr:Batignolles-Monceauの生まれとしている。
参考文献
編集- Nathalie Bondil, « Ombres et lumières de l'orientalisme », Revue M du musée des beaux-arts de Montréal, hiver 2015, p. 7 (ISSN 1715-4820) Document utilisé pour la rédaction de l’article
- Nathalie Bondil (dir.), Benjamin-Constant. Merveilles et mirages de l'orientalisme : Musée des Augustins de Toulouse du 4 octobre 2014 au 4 janvier 2015, musée des Beaux-Arts de Montréal du 31 janvier 2015 au 31 mai 2015, Hazan, 2014, 440 p. (ISBN 9782754107792)
- Promenade de peintre aux salons de 1898, 1898