ジャンニ・ロダーリ
ジャンニ・ロダーリ(Gianni Rodari、1920年10月23日 - 1980年4月14日)はイタリアの作家、ジャーナリスト。特に児童文学で有名。1970年には国際アンデルセン賞を受賞し、20世紀イタリアにおける最も重要な児童文学作家とみなされている。彼の作品は多くの言語に翻訳されている。
経歴
編集ノヴァーラ県オメーニャでパン屋の息子として生まれる。父はジャンニが9歳[1]の時に死亡。その後は母の生地ヴァレーゼ県で育つ。17歳で教員免状を取得し、ヴァレーゼの小学校で教鞭を取る。彼が興味を持ったのは音楽(ヴァイオリンを3年間習った)、そして文学(ニーチェ、ショーペンハウアー、レーニン、トロツキーは彼の批評のセンスを磨いた)であった。1939年に短期間だけミラノ大学へ通った。
第二次世界大戦中は病身であったため徴兵を免れた。親友の死や、兄弟チェーザレがナチスの捕虜収容所に入れられたことを理由に、1943年[1]からレジスタンス運動を行い、1944年[1]にはイタリア共産党に加わった。
1948年に、左派の新聞 l'Unità(「ウニタ」)のジャーナリストとして児童文学を書き始める。1951年に最初の本、Il Libro delle Filastrocche(わらべ歌の本)と『チポリーノの冒険』(Il Romanzo di Cipollino)を刊行。
1952年に初のソ連訪問。その後は頻繁にソ連を訪れた。1953年に結婚し、4年後に娘が誕生した。1957年にはプロのジャーナリストとなる試験に合格。1970年には国際アンデルセン賞を受賞した。
1979年、ソ連旅行の後に健康を害して執筆量を減らすが、1980年にローマにて手術中に死亡した。
著書リスト
編集日本語訳されたもののみ挙げる。原題と日本語題名の対応は下記[1]に拠った。
- Il Romanzo di Cipollino, 1951
- Il viaggio della Freccia Azzurra, 1954
- 『青矢号のぼうけん』杉浦明平訳、岩波書店、1965年
- 『青矢号―おもちゃの夜行列車』関口英子訳 岩波少年文庫、2010
- Gelsomino nel paese dei bugiardi, 1958
- Gip nel televisore. Favola in orbita, 1962
- 『ジップくん宇宙へとびだす』安藤美紀夫訳、偕成社、1967年・1986年
- Favole al telefono, 1962
- Il pianeta degli alberi di Natale, 1962
- 『パジャマをきた宇宙人』安藤美紀夫訳、講談社(こどもの世界文学)、1972年
- La torta in cielo, 1966
- Venti storie più una, 1969
- 「ロダーリのゆかいなお話」安藤美紀夫訳、大日本図書
- 『“重すぎる”さんと“軽すぎる”さん』1986年
- 『鏡からとびだした歯医者さん』1986年
- 『海をさんぽした超高層ビル』1987年
- 『だれもがはいれる家』1987年
- 『わらいじょうごのお姫さま』1988年
- 「ロダーリのゆかいなお話」安藤美紀夫訳、大日本図書
- Tante storie per giocare, 1971
- Grammatica della fantasia. Introduzione all'arte inventare storie, 1973
- 『ファンタジーの文法』窪田富男訳、筑摩書房、1978年・ちくま文庫、1990年
- Novelle fatte a macchina, 1973
- 『猫とともに去りぬ』関口英子訳、2006年、光文社古典新訳文庫
- C'era due volte il barone Lamberto ovvero I misteri dell'isola di San Giulio, 1978
- Scuola di fantasia, 1992
- 『幼児のためのお話のつくり方』窪田富男訳、作品社、2003年
- Storie di Marco e Mirko, 1994
- 『マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!』関口英子訳、くもん出版、2006年
- 『キンコンカンせんそう』ペフ 絵, アーサー・ビナード訳. 講談社, 2010.8
- 『兵士のハーモニカ ロダーリ童話集』関口英子訳. 岩波少年文庫, 2012.4
- 『ゼロくんのかち』エレナ・デル・ヴェント絵, 関口英子訳. 岩波書店, 2013.9
- 『緑の髪のパオリーノ』内田洋子訳. 講談社文庫, 2020.11
- 『クジオのさかな会計士』内田洋子訳. 講談社文庫, 2021.11