ジャイ・シング (メーワール王)
ジャイ・シング(Jai Singh, 1653年12月5日 - 1698年9月23日)は、北インドのラージャスターン地方、メーワール王国の君主(在位:1680年 - 1698年)。
ジャイ・シング Jai Singh | |
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メーワール王 | |
ジャイ・シング | |
在位 | 1680年 - 1698年 |
別号 | マハーラーナー |
出生 |
1653年12月5日 ウダイプル |
死去 |
1698年9月23日 ウダイプル |
王朝 | シソーディヤー朝 |
父親 | ラージ・シング |
宗教 | ヒンドゥー教 |
生涯
編集1653年12月5日、メーワール王国の君主ラージ・シングの息子として、ウダイプルで誕生した[1][2]。
1680年10月、父王ラージ・シングが死亡したことにより、王位を継承した[1][2]。
この頃、メーワール王国はマールワール王国とともにとムガル帝国との戦争(第二次ムガル・ラージプート戦争)に突入していたが、1681年9月に講和が締結された。そのなかで、メーワール王国はジズヤの代わりにパルガナーを手放すこと、マールワール王アジート・シングを援助しないことを条件とし、5000の位のマンサブ(位階)が与えられた[3]。
脚注
編集- ^ a b c Udaipur (Princely State)
- ^ a b c UDAIPUR (Mewar) (Princely State)
- ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、pp.369-370
参考文献
編集- サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。
- 小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年。