ジェームズ・デビッド・アドゥチ(James David "Jim" Adduci、1959年8月9日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手外野手)。

ジム・アドゥチ
Jim Adduci
1988年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州シカゴ
生年月日 (1959-08-09) 1959年8月9日(65歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1980年 MLBドラフト7巡目
初出場 MLB / 1983年9月12日
NPB / 1987年6月12日
最終出場 MLB / 1989年7月26日
NPB / 1987年10月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ファミリーネームの発音は、アメリカでは「アドゥシー」に近い。

なお、同名の息子のジム・アドゥチもメジャーリーガーで、10年間のマイナー生活を経て2013年テキサス・レンジャーズでメジャーデビューした。

経歴

編集

1977年のMLBドラフト28巡目でフィラデルフィア・フィリーズから指名されるも拒否[1]

1980年のMLBドラフト7巡目でセントルイス・カージナルスに指名され契約[1]1983年9月12日にメジャーデビューを果たし、10試合に出場。

1984年1985年はいずれもメジャーでの出場はなかった。

1986年ミルウォーキー・ブルワーズでメジャー再昇格を果たし、3試合に出場。

1987年シーズン途中にNPB横浜大洋ホエールズに入団。大柄な体からアッパー気味のバットスイングで一発長打を期待されたものの、今一つ迫力と確実性に欠け、シーズン終了後に退団。なお、同年の大洋はカルロス・ポンセダグ・ローマンの2人の外国人選手でシーズンをスタートした。しかし、開幕直後に元メジャーリーガーのシクスト・レスカーノを獲得。当時の外国人枠からはみ出したローマンはファームを拒否して退団。レスカーノも極度の不振から結局1か月足らずで退団してしまう。アドゥチは急遽その穴埋めを迫られての獲得で、そこそこまとまってはいたものの特筆すべき点もなく、残留には至らなかった。

1988年にブルワーズに復帰し、44試合に出場してメジャー唯一の本塁打も記録。

1989年フィラデルフィア・フィリーズに移籍するも、13試合の出場に終わり、同年限りで現役引退[1]

詳細情報

編集

年度別打撃成績

編集
















































O
P
S
1983 STL 10 21 20 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .050 .095 .050 .145
1986 MIL 3 13 11 2 1 1 0 0 2 0 0 0 1 0 1 0 0 2 1 .091 .167 .182 .348
1987 大洋 82 309 280 35 75 19 3 13 139 48 1 1 1 1 26 2 1 73 2 .268 .331 .496 .828
1988 MIL 44 97 94 8 25 6 1 1 36 15 0 1 0 3 0 0 0 15 1 .266 .258 .383 .641
1989 PHI 13 19 19 1 7 1 0 0 8 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .368 .368 .421 .789
MLB:4年 70 150 144 11 34 8 1 1 47 15 0 1 1 3 2 0 0 27 1 .236 .242 .326 .568
NPB:1年 82 309 280 35 75 19 3 13 139 48 1 1 1 1 26 2 1 73 2 .268 .331 .496 .828

個人記録

編集
NPB

背番号

編集
  • 14 (1983年、1988年)
  • 9 (1986年)
  • 5 (1987年)
  • 18 (1989年)

脚注

編集
  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、14ページ

関連項目

編集

外部リンク

編集