ジェリコ・コムシッチ
ジェリコ・コムシッチ(クロアチア語: Željko Komšić、発音 [ʒeʎko komʃitɕ]、1964年1月20日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナの政治家。現在、同国の大統領評議会でクロアチア人代表を務めており、議長を7回務めた。以前は社会民主党の急先鋒であったが、同党が連邦議会の多数派形成でクロアチア民主同盟と合意に達した2012年7月に離党した[1]。
ジェリコ・コムシッチ Željko Komšić | |
ジェリコ・コムシッチ
| |
任期 | 2023年7月16日 – 2024年3月16日 |
---|---|
首相 | ボリャナ・クリシュト |
任期 | 2021年7月20日 – 2022年3月20日 |
首相 | デニス・ズヴィズディッチ |
任期 | 2019年7月20日 – 2020年3月20日 |
首相 | ゾラン・テゲルティヤ |
任期 | 2013年7月10日 – 2014年3月10日 |
首相 | ヴィエコスラヴ・ベヴァンダ |
任期 | 2011年7月10日 – 2012年3月10日 |
首相 | ニコラ・シュピリッチ ヴィエコスラヴ・ベヴァンダ |
任期 | 2009年7月6日 – 2010年3月6日 |
首相 | ニコラ・シュピリッチ |
任期 | 2007年7月6日 – 2008年3月7日 |
首相 | ニコラ・シュピリッチ |
任期 | 2006年11月6日 – 2014年11月17日 |
任期 | 2018年11月20日 – |
出生 | 1964年1月20日(60歳) ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、サラエヴォ |
政党 | ボスニア・ヘルツェゴビナ社会民主党 (1997年 - 2012年) 民主戦線 (2013年 - 現在) |
出身校 | サラエボ大学 ジョージタウン大学 |
配偶者 | サビナ・コムシッチ |
宗教 | 不可知論 |
経歴
編集サラエボ大学で法学士号を取得し、ワシントンD.C.のジョージタウン大学エドマンド・A・ウォルシュ外交大学院に学んだ弁護士である。ボスニア紛争でボスニア・ヘルツェゴビナ共和国陸軍に従軍した経験があることから、同国最高位の軍人勲章である黄金の百合勲章を受章している[5][6]。戦後ボスニア・ヘルツェゴビナ社会民主党 (SDP-BiH) に入党して政治活動をはじめ、ノヴォ・サラエヴォ市の市会議員となった。2000年に同市市長に選ばれた後、サラエヴォの副市長を2年務めた。1998年に民主変革同盟が政権をとると、駐ユーゴスラビア大使に任命されベオグラードに赴任したが、SDPが再び野党に転落した2002年の総選挙後に退任した。コムシッチは、社会民主党に3人いる副代表のひとりである[要出典]。
大統領評議会
編集2006年の総選挙で、コムシッチはSDPからクロアチア人大統領に立候補した。結果、投票総数の39.6%にあたる11万6062票を獲得し[7]、クロアチア民主同盟 (HDZ) のイヴォ・ミロ・ヨヴィッチ (26.1%) 、クロアチア民主連合1990 (HDZ 1990) のボジョ・リュビッチ (18.2%) 、労働と向上のための人民党 (NSRB) のムラデン・イヴァンコヴィッチ=リヤノヴィッチ (8.5%) 、クロアチア人の権利党 (HSP) のズヴォンコ・ユリシッチ (6.9%) 、イレナ・ヤヴォル=コリェニッチ (0.7%) [7]を押さえて当選、10月1日に就任した。HDZの分裂により、ボシュニャク票の多数がコムシッチに流れたことが彼の勝利につながった[要出典]。ほとんどボシュニャク人によって選ばれたことから、クロアチア人は彼を不正な代表とみている[2]。
大統領評議会のボシュニャク人代表であるハリス・シラジッチは2008年5月、訪問先のワシントンD.C.で、「ボスニア・ヘルツェゴビナにはひとつの言語しか存在せず、それに三つの名前があるだけだ」と述べた。この声明は、クロアチア人政党やスルプスカ共和国のミロラド・ドディク首相から否定的に受け止められた。コムシッチはこれに対して、彼はそのようなことをいう立場にはないと反論した[8]。
2010年に国立民主研究所が行った調査によると、ボシュニャク人の間で最も人気のある政治家はコムシッチである[9]。同年の総選挙でも全体の60.6%の33万7065票を獲得し、HDZのボリャナ・クリシュト (19.7%) 、クロアチア連合 (HK) のマルティン・ラグジュ (10.8%) 、NSRBのイェルコ・イヴァンコヴィッチ=リヤノヴィッチ (8.1%) 、ペロ・ガリッチ (0.3%) 、ミレ・クトレ (0.2%) 、フェルド・ガリッチ (0.2%) を下して再選を果たした[10]。
2022年10月2日執行の総選挙で大統領評議会のクロアチア系メンバーに再選[11]。12月22日に大統領評議会は次期閣僚評議会議長(首相)にクリシュトを選出したが、クロアチア人代表の座を争ったコムシッチは反対票を投じた[12]。
脚注
編集- ^ Krešić, Zoran (23 July 2012). “Komšić napustio SDP zbog sporazuma s HDZ-om” (Croatian). Večernji list 30 July 2012閲覧。
- ^ a b Vogel, T. K. (9 October 2006). “Bosnia: From the Killing Fields to the Ballot Box”. The Globalist. オリジナルの2009年10月10日時点におけるアーカイブ。 30 July 2012閲覧。
- ^ Pavić, Snježana (8 October 2010). “Nije točno da Hrvati nisu glasali za Željka Komšića, u Grudama je dobio 124 glasa” (Croatian). Jutarnji list 6 April 2013閲覧。
- ^ “Reforma Federacije uvod je u reformu izbornog procesa” (Croatian). Dnevno. (13 May 2013). オリジナルの2013年12月4日時点におけるアーカイブ。 13 May 2013閲覧。
- ^ Željko Komšić - član predsjedništva BIH iz reda hrvatskog naroda - Biografija:
- ^ Southeast European Times - ZeljkoKomsic - Member of the Presidency, Bosnia and Herzegovina
- ^ a b “Opći izbori 2006 - potvrđeni rezultati: hrvatski član Predsjedništva” (Bosnian). Central Election Committee of BiH. 30 July 2012閲覧。
- ^ “Komšić: U BiH se ne govori samo jedan jezik” (Croatian). Klix. (26 May 2008) 30 July 2012閲覧。
- ^ “Najpopularniji Komšić, HDZ raste, pad SDA” (Croatian). Večernji list. (20 May 2010) 3 June 2010閲覧。
- ^ “Potvrđeni rezultati Općih izbora 2010. godine: Predsjedništvo BiH - Hrvatski član” (Croatian). Central Election Committee of BiH. 30 July 2012閲覧。.
- ^ “Susret Izetbegovića i Bećirovića: Rukovanje nakon otkazane sjednice”. N1. (2022年10月4日) 2022年10月5日閲覧。
- ^ “Bosnian Presidency Appoints Borjana Kristo as New PM”. Balkan Insight. (2022年12月22日) 2022年12月25日閲覧。
外部リンク
編集公職 | ||
---|---|---|
先代 イヴォ・ミロ・ヨヴィッチ |
大統領評議会クロアチア人代表 2006年 - 2014年 |
次代 ドラガン・チョヴィッチ |
先代 ドラガン・チョヴィッチ |
大統領評議会クロアチア人代表 2018年 - |
現職 |
先代 ネボイシャ・ラドマノヴィッチ |
大統領評議会議長 2007年 - 2008年 |
次代 ハリス・シラジッチ |
大統領評議会議長 2009年 - 2010年 | ||
大統領評議会議長 2011年 - 2012年 |
次代 バキル・イゼトベゴヴィッチ | |
大統領評議会議長 2013年 - 2014年 | ||
先代 ミロラド・ドディク |
大統領評議会議長 2019年 - 2020年 |
次代 シェフィク・ジャフェロビッチ |
大統領評議会議長 2021年 - 2022年 | ||
先代 ジェリカ・ツヴィヤノヴィッチ |
大統領評議会議長 2023年 - 2024年 |
次代 デニス・ベチロビッチ |