ジェイ・トリアーノ
ハワード・ジェームズ・トリアーノ(Howard James Triano、1958年9月21日 - )は、カナダ・オンタリオ州ティルソンバーグ出身のバスケットボール指導者。カナダ代表ヘッドコーチとシャーロット・ホーネッツのアシスタントコーチを務めている。
トロント・ラプターズHC時のトリアーノ | |
シャーロット・ホーネッツ AC | |
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ポジション | PG |
役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
愛称 | Jay |
国籍 | カナダ |
生年月日 | 1958年9月21日(66歳) |
出身地 | オンタリオ州ティルソンバーグ |
身長(現役時) | 193cm (6 ft 4 in) |
体重(現役時) | 88kg (194 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | サイモンフレーザー大学 |
ドラフト | 1981年 8巡目179位 |
選手経歴 | |
1985-1986 | フェネルバフチェ |
指導者経歴 | |
1988-1995 2002-2008 2008-2011 2012-2016 2016-2017 2017-2018 2018- |
サイモンフレーザー大学 トロント・ラプターズ (AC) トロント・ラプターズ ポートランド・トレイルブレイザーズ (AC) フェニックス・サンズ (AC) フェニックス・サンズ (暫定HC) シャーロット・ホーネッツ (AC) |
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代表歴 | |
キャップ |
カナダ 1983-1988 カナダ (HC) 1998-2004 ジョージア (HC) 2006 アメリカ合衆国 (AC) 2008 カナダ (HC) 2012- |
選手時代
編集サイモンフレーザー大学在学時の1978年からカナダ代表としてプレーしていたトリアーノは、1981年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズから179位で指名されるも、トレーニングキャンプの段階で解雇。トリアーノは地元カナダのマイナーリーグやメキシコなどでプレー。1985年から1年間はフェネルバフチェ・ユルケルでプレーしたこともあったものの、結局NBAの舞台に辿り着くことは出来なかった[1]。
コーチ歴
編集1988年、30歳の時にトリアーノは選手生活に区切りを付け、コーチ業を開始。母校サイモンフレーザー大学のヘッドコーチを1995年まで務める。
2002年にトロント・ラプターズのアシスタントコーチに就任。2008年12月4日、当時のサム・ミッチェルヘッドコーチが解任されたのに伴い、ヘッドコーチに昇格。リーグ初のカナダ人ヘッドコーチとして注目されたが、同シーズンは25勝40敗と悪い流れを変えることは出来ず、2009-10シーズンも40勝42敗、更にクリス・ボッシュを失った2010-11シーズンは22勝60敗に終わり、シーズン終了後に退任。フロントに転出し、球団副社長を務めた。
2012年8月17日、ポートランド・トレイルブレイザーズのアシスタントコーチに就任。デイミアン・リラード、C・J・マッカラム、メイヤーズ・レナードら若手選手の育成に尽力した。
2016年5月18日、フェニックス・サンズのアソシエイトコーチに就任。2017年10月22日に、アール・ワトソンヘッドコーチが解任されたのに伴い暫定ヘッドコーチに昇格した[2]。
代表コーチ歴
編集1998年にカナダ代表のヘッドコーチに就任。2000年のシドニーオリンピック出場に導き7位入賞を果たすも、2004年に解任[3]。北京オリンピックではアメリカ代表のアシスタントコーチを務め、金メダルを獲得。2012年からは再びカナダ代表のヘッドコーチを務めている[4]。