シンガポール日本人会
シンガポールに存在する日本人の組織
シンガポール日本人会(英語:The Japanese Association, Singapore)はシンガポールに存在する日本人の組織。1915年に組織され太平洋戦争の勃発により1941年に消滅するが、戦後の1957年3月14日に再び組織される。シンガポール日本人学校小学部6年生を実質的[1]に管理、運営している。また、シンガポール日本人墓地公園の管理も行う。
歴史
編集- 1889年 - 共済会設立
- 1908年 - 新嘉坡青年会設立
- 1915年 - Wilkie Roadに日本人会発足
- 1918年 - Short Streetに移転
- 1920年 - Bras Basah Roadに移転
- 1921年 - High Streetに移転、その後Waterloo Streetに移転
- 1922年 - 新嘉坡青年会を引継ぎ、付属事業として日本人倶楽部を設立
- 1926年 - Selegie Roadに移転
- 1941年 - 太平洋戦争の勃発により消滅
- 1957年 - 日本人会再発足
- 1958年 - 3 Cran Borne Roadにクラブハウス設立
- 1959年 - 4 Kheam Hock Roadに移転
- 1961年 - 11 Second Avenueに移転
- 1963年 - 135 Bukit Timah Roadに移転
- 1965年 - 機関紙「南十字星」発刊
- 1979年 - Scotts Roadに移転
- 1983年 - 120 Adam Roadに移転
- 1985年 - 日本人会診療所設立
- 1996年 - 新会館建設のため422,Thomson Roadに一時移転
- 1998年 - 新会館竣工
脚注
編集- ^ 法律上の所有者は日本人学校登録管財人会だが、管財人は日本人会の総会で任命され、大きな決定事項は日本人会の総会や理事会で諮られる。