松山銀天街GET!(まつやまぎんてんがいゲット)は、かつて愛媛県松山市松山銀天街に所在していた商業施設である。

松山銀天街GET!
MATSUYAMA GINTENGAI GET!
旧松山銀天街GET!の看板(2024年5月)
店舗概要
所在地 790-0012
愛媛県松山市湊町3丁目4番地6
開業日 1973年(昭和48年)11月23日
閉業日 2020年(令和2年)9月30日
施設所有者 協同組合銀天街ショッピングビル
施設管理者 協同組合銀天街ショッピングビル
敷地面積 3,040.01 m²
店舗数 20店舗
営業時間 10:00 - 21:00(食品スーパー)
前身 ニチイ松山店
(銀天街ショッピングビル/ラブリープラザ)

松山サティ
外部リンク 公式サイト(ウェブアーカイブ)
テンプレートを表示

概要

編集

地下1階・地上5階の建物で、協同組合銀天街ショッピングビルが管理・運営していた。

松山サティ撤退後、2000年(平成12年)に雑貨やファッション店などが入居する商業施設「松山銀天街GET!」として再開業した。雑貨屋、ファッション店、スーパーなどの他、「ジョブカフェ愛work[1]」などの公共施設やLEC東京リーガルマインド大学などの教育機関が入居した。しかし、老朽化のため、2020年(令和2年)7月31日には核店舗のフレッシュバリュ(ママイ)が閉店し[2]9月30日に完全閉館した。跡地は2015年(平成27年)に設立した「湊町三丁目C街区開発」の主導で2023年度に複合ビルが完成する予定であったが[3]、地権者からの同意が得られず、完成が予定されていた2023年(令和5年)時点で事業計画も完成していない。また、事業開始にも至っていない[4]

前史:ニチイ松山店・サティ松山店

編集

1973年(昭和48年)11月23日に[5]松山銀天街の商店4店が建設した銀天街ショッピングビル「ラブリープラザ」がニチイ松山店を核店舗として開業したのが始まりである[6]。 ニチイ松山店は約8,600平方メートルの売り場で食料品や衣料品などを販売していた。

最盛期の1989年度には61億円の売上を誇ったが、郊外への大型店進出で業績が減少傾向に陥った。

そのため、マイカル1997年(平成9年)に専門店の導入や若い感覚を売り物にした「サティ」に業態変更するなど取り組んだが、競争悪化や不況に加えて売り場面積や機能拡大に限界があったことや駐車場不足から業績が伸ばせず1999年(平成11年)6月30日に松山サティは閉店した[7][8]。また、マイカルでは松山サティ隣の銀天街L字地区に「松山ビブレ」を計画していたが、地元地権者と賃料などで折り合いがつかず、1996年(平成8年)に出店を断念している[9]

主なテナント

編集

地下1階

編集
  • ヘアメイク
  • ファッション・雑貨店
  • ハローワークプラザ松山(2020年(令和2年)8月31日に、グランティア千舟2階へ移転[10]
  • キャリアアップハローワーク愛媛
  • 「愛work」愛媛県若年者就職支援センター
  • Winスクール(パソコン教室)

アクセス

編集

周辺

編集

脚注

編集
  1. ^ 愛媛県若年者就職支援センター
  2. ^ 【松山市】銀天街GET!のテナントが閉店セールをしていました…いよいよGET、閉店準備でしょうか。”. 号外ネット. 2024年9月14日閲覧。
  3. ^ 都市商業研究所(2020年12月6日)
  4. ^ 銀天街のL字地区再開発に約5年の遅れ 地権者の合意形成や事業計画作成に手間取る 愛媛・松山市議会で言及”. 愛媛のニュース - Nスタえひめ|あいテレビは6チャンネル (2023年6月19日). 2024年7月5日閲覧。
  5. ^ 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月)
  6. ^ 愛媛県史編さん委員会編 『愛媛県史 地誌2(中予)』 愛媛県、1984年3月
  7. ^ 『朝日新聞』1999年3月30日朝刊「松山サティ6月末で撤退 店舗規模で制約、業態戦略生かせず」
  8. ^ 『朝日新聞』1999年6月30日朝刊「さよなら『松山サティ』ビルの再生へ模索 きょう閉店」
  9. ^ 『愛媛新聞』1999年3月12日「松山サティ、6月で撤退 業態変更効果なく」
  10. ^ 厚生労働省(愛媛労働局)
  11. ^ 東京リーガルマインド松山本校

関連項目

編集

外部リンク

編集