シュテファン2世 (バイエルン公)
シュテファン2世(Stephan II., 1319年 - 1375年5月13日)は、14世紀の下バイエルン公(後に下バイエルン=ランツフート公)。後に上バイエルン公も兼ねた。神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世とヤヴォル公ボルコ1世の娘ベアトリチェの次男。ルートヴィヒ5世は同母兄、ルートヴィヒ6世、ヴィルヘルム1世、アルブレヒト1世、オットー5世は異母弟である。フランス王シャルル6世の王妃イザボー・ド・バヴィエールは孫の1人である。
シュテファン2世 Stephan II. | |
---|---|
バイエルン公 下バイエルン公 下バイエルン=ランツフート公 上バイエルン公 | |
![]() シュテファン2世のシール | |
在位 |
バイエルン公:1347年 - 1349年 下バイエルン公:1349年 - 1353年 下バイエルン=ランツフート公:1353年 - 1375年 上バイエルン公:1363年 - 1375年 |
出生 |
1319年 |
死去 |
1375年5月13日 |
埋葬 |
![]() ![]() |
配偶者 | イザベッラ・ディ・シチリア |
マルガレーテ・フォン・ニュルンベルク | |
子女 |
シュテファン3世 アグネス フリードリヒ ヨハン2世 |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世 |
母親 | ベアトリチェ・シフィドニツカ |
生涯
編集父の存命時にはアルザス・シュヴァーベンの代官を務めていた。1347年に父が没し、1349年に遺領が分割された時、シュテファン2世は下バイエルンを2人の弟ヴィルヘルム1世、アルブレヒト1世と共に相続した(上バイエルンは兄のルートヴィヒ5世、弟のルートヴィヒ6世、オットー5世が相続)。その後、1353年に下バイエルンは更に分けられ、シュテファン2世はランツフートを、ヴィルヘルム1世とアルブレヒト1世はシュトラウビングを相続した。
1361年、兄の上バイエルン公ルートヴィヒ5世が没し、甥マインハルトに遺領が相続されたが、マインハルトも1363年に夭折すると、オーストリア公ルドルフ4世と遺領を巡って対立、ルドルフ4世の死後も戦いを続け、1369年に和睦、チロルはハプスブルク家が領有、シュテファン2世は巨額の賠償金と上バイエルンを獲得した。
1375年、56歳で死去。遺領は3人の息子に相続されたが、後に分割された。
家族
編集1328年にシチリア王フェデリーコ2世とエレオノーラ・ダンジョの娘イザベッラ(1310年 - 1349年)と結婚した。
参考文献
編集
|
|
|
|
|
|
|
|
|