シャーリヴァーハナ
シャーリヴァーハナ(शालिवाहन Śālivāhana)は、インドの伝説的な王。プラティシュターナ(今のマハーラーシュトラ州パイタン)を都としてマールワー地方を治めたと伝えられる。
名称の由来
編集シャーリヴァーハナは、シャーラヴァーハナまたはサータヴァーハナとも呼ばれる。サータヴァーハナが古い形である[1]。実在のサータヴァーハナ朝の名に由来しているのは確かだが、伝説ではひとりの王の名前として出現する。
伝説
編集シャーリヴァーハナはプラークリット文学の擁護者とされる。1600年ごろのラクシュミーナータ・バッタは、シャーリヴァーハナをプラークリットの最初の詩人とする[2]。実際にプラークリット(マーハーラーシュトリー)で書かれた最初の文学作品である詩集『ガーハー・サッタサイー』(七百頌集)はサータヴァーハナ朝のハーラ王によって編纂されたと伝えられ、冒頭の詩にもそのことが記されている。ハーラという王はプラーナ文献にサータヴァーハナ朝の王として見え、碑文にも確認されるために実在の人物だったようである[1]。しかし、現存の『ガーハー・サッタサイー』はもっと新しい時代の内容(曜日や時刻の表記のしかた、ガネーシャなどに対する礼拝など)を含んでいる[3]。
『ブリハットカター』の作者であるグナーディヤについても、サータヴァーハナ王の大臣であったグナーディヤによってパイシャーチーで書かれたという伝説をカシミール系の伝本が伝える[4][5]。
シャーリヴァーハナはしばしば同様に伝説化した王であるヴィクラマーディティヤのライバルとして扱われる。シヴァダーサの『サーリヴァーハナカター』はヴィクラマーディティヤとシャーリヴァーハナのライバル関係を記す[6]。ジャイナ教の伝説では、あるバラモンの未亡人がナーガと交わってシャーリヴァーハナを生んだが、彼が将来王になることを占星術師がヴィクラマーディティヤに告げたため、ヴィクラマーディティヤは彼を攻撃した。シャーリヴァーハナは粘土の兵隊に命を吹きこんで戦って勝ったとする[7]。
インドのシャカ紀元は13世紀以降に「シャーリヴァーハナ・シャカ」と呼ばれ、シャーリヴァーハナと結びつけられた。しかしそれより100年以上古いヴィクラマ紀元がヴィクラマーディティヤと結びつけられているため、ヴィクラマーディティヤとシャーリヴァーハナを同時代の人物とする説と矛盾し、伝説は混乱している[8]。
脚注
編集参考文献
編集- 土田龍太郎『大説話 ブリハットカター』中央公論新社〈中公選書〉、2017年。ISBN 9784121100252。
- Ollett, Andrew (2017). Language of the Snakes: Prakrit, Sanskrit, and the Language Order of Premodern India. University of California Press. doi:10.1525/luminos.37. ISBN 9780520968813
- Sircar, Dines Chandra (1969). Ancient Malwa and the Vikramāditya Tradition. Delhi: Munshiram Manoharlal